八ツ場大橋
八ッ場大橋(やんばおおはし)は、八ッ場あがつま湖に架かる橋。
八ッ場ダム建設に伴う付替道路として建設された。建設中の仮称は湖面1号橋。
↑ 王湯 ↓
同様の付替道路として群馬県道375号の不動大橋(湖面2号橋)と国道145号の丸岩大橋(湖面3号橋)がある。
↑ 王湯から見た八ツ場大橋 ↓
建設の背景
八ッ場ダム建設に伴い、水没地域の住民の代替地がダム湖の右岸(川原湯地区)と左岸(川原畑地区)に分かれることから、これらの地域を結び、生活再建を支援するために計画された橋である。群馬県道377号川原畑大戸線の一部となっている。
概要
橋長:494 m
高さ:73.5 m
幅員:片側1車線6.0(13.5)m、両側歩道付
建設年次:2008年(平成20年)着工、2014年(平成26年)10月1日15:00開通。

川原湯温泉の源泉
打越代替地へ新湯を運ぶ送湯管は、旧川原湯温泉街の山の中腹につくられる「町道川原湯温泉幹線街路」に埋設されています。

↑ 王湯から見た温泉街とやまきぼし ↓
川原湯神社の脇の新源泉から大沢のポンプ中継所まで、送湯管は直線距離でも500メートル近くあります。さらに打越代替地へポンプアップして、広大な代替地の各施設へ管路で配湯します。

温泉管には温泉の成分(スケール)が付着し、そのままでは閉塞してしまいますので、定期的な清浄・除去が欠かせません。旧温泉街では源泉が温泉街の最も標高の高いところに自然湧出し、地形を利用して各旅館に流下させればよかったのですが、代替地への温泉配湯には長距離の温泉管や揚湯施設など、膨大な設備が必要になりました。

↑ 王湯から見た新湯(新川原湯温泉源泉) ↓
代替地で営業している宿泊施設がわずか5軒と、かつての四分の一に減少している状況で、維持管理が地元にとって大きな負担となることが懸念されます。

旧源泉
元の湯
共同湯であった王湯の脇から湧出。含硫黄ーカルシウム・ナトリウムー塩化物・硫酸塩温泉。
「草津の上がり湯」と呼ばれ、まろやかな泉質。泉温66.6度機(2016年8月4日測定)。
八ッ場ダムの満水位は標高583メートルだが、源泉高は約574メートル。2010年まで県有泉であったが、長野原町へ譲渡。
新湯開発前は約126㍑/min の湧出量があったが、新湯の影響を受け、1989年以降、次第に湧出量が低下。
虎湯
王湯に隣接していた旧みよしや旅館敷地内にあったが、湧出量が少なく2010年に廃孔届。元の湯と泉質がほとんど同質。
王湯源泉(2009年11月9日撮影)
王湯の浴槽 共同湯・王湯には三本の給湯管から三種類の源泉が注がれていました。元の湯と新湯(新源泉)、そしてこの王湯源泉です。
王湯源泉は群馬県の温泉台帳にはありませんが、昨年の調査で源泉の給湯管が浴場内のコンクリート(厚み1メートル)の下から出てきていることが確認されました。
正式な源泉名は「王湯湧出源泉」。
これまでの調査で元の湯直下から、元の湯に上昇する温泉の流れの一部が浅部において王湯側へ分岐していることも確認されており、報告書ではこれが王湯源泉である可能性が高いとしています。
また、昨年8月の調査の結果、元の湯と王湯源泉の全体湧出量はほぼ一定であることから、二つの源泉は一体と考えられるということです。
智与の湯
旧丸木屋旅館地下に湧出。次第に低温化し、2012年廃孔届。
目の湯
王湯とやまきぼし旅館をつなぐ通路の道路側から湧出。県有泉であった。1991年に水温41.8度の記録があるが、次第に温度が低下し、2012年廃孔届。
ますや源泉
ますや旅館があった温泉街の坂下の大沢より旧・川原湯温泉駅側の沢に位置していたとされるが未確認。現状では地形改変された場所にあった。2008年廃孔届。
養寿館源泉
平成19年度に廃止されたが、現在も湧出を確認。元の湯より吾妻川に近い低所部に存在。湧出量僅かで低温。
現在、代替地に再建中の新・川原湯温泉には、新湯(八ッ場ダム事業によりボーリングで掘り当て、ポンプアップ)を引き湯しています。

↑ 新湯(新川原湯源泉) 2009年9月20日撮影 ↓
新源泉が旧源泉に与える影響
群馬県は新源泉が利用されるようになった1990年以降、新源泉が元の湯源泉に与える影響を調査してきました。新源泉と元の湯源泉は湯脈がつながっていると考えられるからです。
これまでの調査結果は、以前に情報開示された「水源地域生活再建対策事業(川原湯温泉湧出状況変化解析業務委託)報告書」などで知ることができます。
この報告書は社団法人群馬県温泉協会が出していますが、調査のとりまとめは今回の開示資料と同様、中央温泉研究所です。

↑ 新湯(新川原湯源泉) では何方も温泉卵を作れ足湯も無料 ↓
この報告書の説明によれば、旧源泉への影響を最小限にするには、新湯の湧出量は「150㍑/min 以下」に抑える必要がありますが、2005年~2011年の新湯の湧出量の変化を示す下の表を見ると、湧出量は約200~250㍑/minである年が多くなっています。
以下の報告書の説明からも、新源泉の利用に伴う旧源泉の減少はあらかじめ予想されていたことが伺えます。

戦争直後、吾妻線が客車を走らせるようになり、昭和32年当時は八ッ場ダム計画も吾妻川の酸性問題によって一旦頓挫し、川原湯温泉が最盛期を迎えた時期でした。
↑ 新湯は川原湯神社の参道に作られました
(正面の建物は柏屋その右に王湯源泉) ↓
川原湯温泉街の隆盛によって鄙びた共同湯だった王湯が観光用に改築され、現在の建物ができたのは昭和42年のことです。
八ッ場ダム計画が本格的に動き出したのが昭和40年、そしてダム事業費が最初に計上されたのが昭和42年です。川原湯の人々にとって、水没予定地の王湯の改築は八ッ場ダム計画をはねのける意思表示でもあったのでしょう。

全国温泉コンクール
昭和32年に川原湯温泉が週刊読売選定・全国温泉コンクールでベストテンに入った()(八位)ことを記念して建てられた平和の白鳩の塔があります。

↑ 碑には鳩の彫像が載っています。 ↓

1位 定山渓温泉(北海道) 6位 道後温泉(愛媛)
2位 船橋ヘルスセンター(千葉) 7位 飯坂温泉(福島)
3位 熱海温泉(静岡) 8位 川原湯温泉(群馬)
4位 指宿温泉(鹿児島) 9位 嬉野温泉(佐賀)
5位 戸倉・上山田温泉(長野) 10位 別府温泉(大分)









