↑ 川原湯温泉やまきぼし「レストラン棟」 ↓

 

一般に日本人は入浴、特に高い温水での入浴を好むと言われ、多くの日本人が好む入浴温度は40~43度程度である。


『徒然草』にも住まいは夏を旨とすべしとあるように、日本の住居は日本の多湿の気候を考慮して、風通しの良い構造が好まれていた。

このため冬場に身体が冷えるために熱い温度の入浴が好まれるようになったというものである。

湯上り後には冷たい飲み物が欲しくなりこの季節は生ビールが欲しい。

 


血行がよくなって酔いがまわる
お風呂に入ると体の血行がよくなります。これがアルコールを飲んだ後の場合、よくなった血行に乗ってアルコールが体中に早くまわります。ですから、普段お酒に強い方が酔いをさますつもりで入っても、逆に酔いを深めてしまい、大変危険なのだと言う。


 

生ビール
生ビールとは、日本において熱処理をしていないビール全般を指す。

同義語としてドラフトビールがある。日本国外における「生ビール・ドラフトビール」の定義は国によって異なる事がある。


 

ドラフトビールフォント
醸造後一切の手を加えていないビールをさすが、日本ではビールの製造工程で酵母等をろ過することによって熱処理(パスチャライゼーション)をしていないビールも「生ビール」と定義している。

パッケージには「生」「生ビール」「ドラフトビール」と表示し、熱処理していないこと(「非熱処理」等)を併記すると決めている(業務用の樽詰め製品は省略可)。


 

↑ レストラン棟から見える温泉街 ↓

 

また熱処理していないことを理由に品質がよいと宣伝することも禁じており、違反行為については景品表示法の不当表示などに関係するため、公正取引委員会や消費者庁から措置命令・排除命令・要望・警告の処分を受けることがある。また、同一銘柄の樽詰・瓶詰・缶詰は、いずれも中身は同一である。


 

↑ やまきぼしから見た「王湯」  国土交通省が描いた

川原湯温泉代替地(打越地区)半島部完成予想図(2009年9月20日撮影)↓

 

 

矢印の白文字tabiがやまきぼし    矢印の黄文字tabiが王湯 

矢印の水文字tabiが丸木屋  矢印の赤文字tabiが湯かけ広場

 

 

1869年(明治2年)、横浜山手46番で居留地の外国人向けにビールの醸造が始まった。1870年(明治3年)、横浜山手123番(天沼)で継続的に一般人向けのビールの醸造・販売が始まった。

当時としては最新鋭のパスチャライゼーション(低温殺菌法)を導入していた(この店が、後のキリンビールのルーツとなった)。


 

当時は冷蔵庫が広く普及しておらず、生きたままの酵母が入っている古典的な生ビールでは、発酵が進みすぎて味が変わったり容器を破裂させたりしてしまうため、熱処理(加熱殺菌)をして製品を出荷することが一般的だった。

しかし、当時でも熱処理を行わないビールは、工場隣接のビアガーデンや、冷蔵庫を備えた店で飲むことができた。

 

 

初期の生ビールとして有名なのは北海道開拓使・官営札幌麦酒醸造所(明治9年のちに民間に払い下げられてサッポロビールとなった)が1876年(明治9年)9月に発売した「冷製札幌ビール」である。

しかし消費地への長時間の輸送中に、発酵が進んでコルク栓が抜けるなどの事故が多発した。


 

↑ やまきぼしから見た「湯かけ広場」手前と「八ツ場大橋」 八ツ場大橋橋脚工事 ↓

 

写真左の橋脚基礎工事。

 

 

↑ 八ツ場大橋(第一湖面橋基礎工事/2010年1月22日撮影) ↓

 

写真右の橋脚基礎工事。

 

 

↑ 八ツ場大橋(第一湖面橋基礎工事と川原湯温泉駅 ↓

 

 

この場所が国道145号線(日本ロマンチック街道)川原湯温泉と草津温泉方面のY字路で、川原湯温泉歓迎ケートの有る場所。

 

 

↑ 川原湯温泉歓迎ケート 右が国道145号線(日本ロマンチック街道) ↓

 

1960年、アメリカ統治下の沖縄のオリオンビールが「びん詰め生ビール」を発売。生産地と消費地が近く、飲食店向けに出荷されてすぐに消費されていたので、問題は少なかったとされる。

 

 

1967年、サントリー(初代法人、現・サントリーホールディングス)が「純生」を発売。現在主流の新しい定義による最初の生ビールで、NASAが開発した「ミクロフィルター」(プラスチックやセラミック製の膜をつけた精密濾過装置)を導入し、無菌室で滅菌容器に詰めて密封するオートメーション技術を開発したことにより、「熱処理をせず、酵母菌を除去した生ビール」をはじめて大量生産した。


 

1968年、アサヒビールが「本生」を発売したが、これは酵母菌の除去は行っておらず「本当の生です。酵母が生きています。」というキャッチフレーズで工場の近くのみに瓶詰めで販売された。冷蔵保存が必須であり、しかも賞味期限は2週間と短かった。

この頃までは、「生ビール」の概念が定まっておらず、サントリーが「熱処理をせず、酵母菌を除去した生ビール」、アサヒが「熱処理をせず、酵母菌の入った生ビール」を発売したことにより、「酵母菌の有無」をめぐって『生ビール論争』が勃発した。



 

↑ 生ビールサーバー ↓


「熱処理をしないビールはすべて生ビール」というサントリーの主張と、「酵母菌を取り除いたビールは生ビールではない」という他社の主張は平行線を辿った。

また「純生」の商標を巡って『純生論争』が起きた。結果として特許庁はサントリーに『純生』の商標登録を認めた。


 

1979年、公正取引委員会が「生ビール・ドラフトビール」の定義を「熱処理をしないビールのすべて」と公示し、生ビール論争はサントリーの主張、「酵母菌の有無は評価基準にしない」が認められた形で終結した。

1987年3月、辛口生ビール「アサヒスーパードライ」が発売され、爆発的にヒットした。翌1988年に他社も一斉に類似品を発売したが(ドライ戦争)、スーパードライの躍進に拍車をかける結果となった。



 

↑ 二杯目 ↓

 

「生ビールNo.1アサヒスーパードライ」の宣伝コピーに煽られたキリンは、1996年にキリンラガーの非熱処理化(生ビール化)を断行したがファンの不評を買い、1997年にキリンラガーはビールのトップブランドをスーパードライに明け渡した。



 

微生物管理技術と濾過技術[注釈 6]の発達と普及により、生ビールの比率は年々増え、1977年には10%台、1987年には50%台、1993年には70%台となった。

1996年のキリンラガーの生ビール化により、生ビールの比率は更に高まり、1996年3月には99%台[になった。


 

2000年代前半では冷蔵(チルド)輸送のシステムが進んだことで、無濾過・酵母菌入りの生ビールの比率も少しずつ増えていた[注釈 7]が、各社で該当したプレミアムビールなど商品構成を見直したことから、2000年代中盤以降のチルドビール市場は退潮傾向となった。