柏屋
柏屋旅館は、旧温泉街の坂道の一番上にありました。戦後の高度成長期、働き者の女将さんの活躍で、大きなコンクリートの建物を建て、川原湯で最も多い、収容人数150人を誇る旅館でした。




当時、柏屋旅館は川原湯のダム反対闘争の中心的な旅館の一つでした。反対闘争が30年前に事実上終息した後も、川原湯では条件闘争が続き、2004年に代替地の分譲基準が高額に設定されたときは、柏屋旅館の先代のご当主が異議を唱える姿がテレビで映し出されました。

 

 ↑ 旧温泉街の柏屋 川原湯温泉代替地のはなかしわ ↓
 

水没予定地の柏屋旅館が休業に入ったのは2010年4月。翌2011年11月には旅館が解体されました。

川原湯では水没予定地の柏屋旅館の隣にあった高田屋旅館の経営者も、すでに別の土地で老人ホームを経営しています。


 

水没予定地の川原湯温泉には20軒もの旅館が軒を連ねていましたが、現在、代替地の川原湯温泉で旅館を再開しているのは3軒、今夏に再開を予定している旅館が一軒、民宿を経営しているのが一軒です(2013年当時)。


 

川原湯温泉の中軸であった二つの老舗旅館が業種を転換したことは、ダムに反対した住民たちが懸念した通り、代替地における観光業を取り巻く経営環境の厳しさを物語っているのではないでしょうか。

 

↑ ギャラリー&カフェハナカシワを隣に併設 ↓


 

はなかしわ
柏屋旅館が建設を進めていた老人ホーム「はなかしわ」が完成、10日に内覧会が行われ、多くの見学者が訪れた。内覧会は11、12の両日にも行われる。 開業は7月1日。

老人ホームを経営する柏屋旅館は、江戸時代末期創業の老舗。代替地での旅館開業を検討していたが、スタッフの高齢化などで現段階での旅館としての開業は困難と判断し、老人ホームの経営に乗り出すことにした。

完成した施設は、木造平屋建ての約590平方メートル。入居時の要件は60歳以上の要介護者となっている。定員は20人で8畳程度の個室が20部屋あるほか、通所介護事業所と訪問介護事業所を併設する。老人ホームの利用料金は月9万9780円。




高田屋旅館
創業215、川原湯温泉の老舗旅館「高田屋旅館」が25日から休業した。

 

ダム問題の先行きが不透明で、赤字脱却に向けた長期的な経営戦略が立てられないとして、7月に休業を表明していた。豊田社長らが同日朝、休業前の最後となる宿泊客を見送った。


 

↑ 柏屋に隣接する高田屋旅館 みよしやは右隣に有る旅館 ↓

 

 

創業は江戸時代の寛政7(1795)年で、温泉街屈指の老舗旅館。

 

温泉はもちろん、7代目となる豊田社長が砂塩風呂や岩盤浴などに積極的に投資して集客に努め、女性客らに人気が高かった。地元食材をふんだんに使った釜飯が名物だった。


 

 ↑ 川原湯温泉代替地の高田屋旅館の敷地 ↓

 

温泉街には最盛期に20軒以上の旅館があった。

 

旅館業への思いは強い。


 

温泉の配管は、代替地に建築した自宅近くへ引いてある。

 

いつか温泉宿を再開するために、自宅以外に敷地を確保してある。

 

↑ 雑草引き抜き手入れは怠らない ↓

 


 

敬業館みよしや
川原湯温泉で唯一源泉を有する宿。断崖上の名物大檜風呂は名勝吾妻渓谷を眼下に温泉浴が楽しめる。夜はムササビに出逢えることもある。


 

下を流れる吾妻川の両側の切り立った岩は、関東の耶馬溪と言われるほどの名勝。ムササビの餌付けに成功し、川原湯温泉のアイドルとなっている。


 

八ッ場ダムの工事関係者の宿泊所として使用されていました。

 


 

お福&まるきやカフェ
2013年7月3日、土産物店「お福」が第1号として営業を始めた。
新しい店はたいへん立派だ。喫茶店「まるきやcafe」も併設され、孫娘さんがきりもりしている。

 

 

↑ 早朝の為、営業前のまるきやカフェ ↓

 

八ッ場ダムのうたい文句は「現地再建方式」(ずり上がり方式)であった。新しくできるダム湖の湖畔に代替地を造成し、そこに、水没する川原湯温泉街や住家を移すというものだ。

 

 

しかし、代替地の整備はたいへん遅れている。そのため、住民は次々と長野原町から転出した。22軒あった川原湯温泉の旅館は4軒に激減した。

代替地に移転して営業をはじめた旅館はわずか1軒(やまた旅館)だけだ。それも、新温泉街ではなく新住宅街である。

 

 

国交省は、代替地や県道、町道の整備が遅れていることについて、「民主党政権が八ッ場ダム中止を表明したため」と言っている。

 

これは大ウソだ。民主党政権が誕生したのはわずか4年前(当時)である。「それまでなにをしていたのか」と言いたい。
 

 

水没予定地の人たちは、国交省にだまされつづけ、たいへんな苦難を強いられている。現地に行って話を聞けば、そのことがよくわかる。