旧温泉街
吾妻川の谷間の上部に位置し、道路沿いに数軒の旅館がひしめく様に存在した。


 

↑ 王湯 右の建物は丸木屋旅館 ↓

王湯
川原湯温泉は吾妻川を見下ろす斜面にある古くからの温泉街である。

川原湯温泉は湯かけ祭りで有名である。この湯かけ祭りは、昔いったん枯れた温泉が復活したことを祝ったことが始まりだそうだ。

温泉の恵みに感謝して、正月20日に裸でお湯をかけ合う奇祭である。共同浴場の王湯は、湯かけ祭りが行われる川原湯温泉の中心部にある。

 

  ↑ 源氏の家紋笹竜胆(ささりんどう) ↓

 

共同浴場は

「王湯」「笹湯」と混浴の「聖天様露天風呂」が存在した。

1193年建久4年)に、源頼朝が狩をしている最中に発見したとされる。共同浴場の「王湯」にはそれに因んで源氏の家紋(笹竜胆)。


 

川原湯温泉
急カーブ路
道路の曲がりぐあいが直角で短い大沢橋を渡ると左に曲がって急な上り坂になる。


大沢橋
橋の上流は川原湯住民の水道水源が有り、橋の近くは釣り堀が作られた。橋の真下から川下は吾妻川に落ちる深い崖となる。

 

ここからが温泉街が始まる。

 

↑王湯の右隣に有った笹湯が渡り廊下で結ばれ、露天風呂に(2009年9月20日撮) ↓

4,5人も入れば満員だ。周囲が温泉街なので湯船のへりを高くしている。残念ながらお湯に浸かると景色が見えない。


 

 

 

 

↑ 笹湯 王湯の向い側に建立された芭蕉の句碑など ↓

 

 

代替地へ転居して営業を再開した王湯(2023年7月16日撮影)

 

源頼朝が発見してから800年以上の時を紡いできた川原湯温泉。平成26年7月、名残惜しまれながらも新天地へ引っ越し致しました。

 

 

今までのフォルムを玄関に残し、新たな1歩を踏み出しました。
 

 

川原湯温泉の効能はリウマチや関節痛に良く効くと昔から言われてまして、入浴後に関節を動かす事がとても良いとさてます。


 

雄大な山々や広い空・湖面に架かる橋を眺めるのも良いでしょう。

 

 

↑ 旧温泉街に有った芭蕉の句碑なども新王湯前に移設 ↓

 

 

利根川に10箇所のダムを建設する利根川上流ダム群計画に準拠しており、カスリーン台風級の水害から東京および利根川流域を守ることが目的とされた。


 

↑ 2009年9月20日撮影 

 

笹湯

斜面に残る建物の基礎群。以前はそこにたくさんの住居があったことを物語る痕跡は、ダム建設問題で揺れた爪痕を色濃く残していた。
 

 

↑ 笹湯 建物跡は竹田俱楽部(旅館) 民家 そば処田むら跡 ↓

 

 

無人なので料金箱に料金は入れて利用する。

 

この笹湯を利用した感想は「シンプル イズ ベスト」。この言葉がこの「笹湯」にはぴったり似合う。

 

本来共同浴場は、家風呂を持たない地元の方々のためのお風呂。それをいつからか、観光の方々にも開放して喜ばれてきましたがダム建設による地元住民の代替地移転もほぼ完了した今この外来者のためだけに維持管理していくのも難しくなった。

 

 

 

↑ 笹湯(女性用)  (男性用) ↓

 

ダム建設の迷走により、一度は施設が残ると思っていたが、残念ながら2011年10月に閉鎖した。

 

 

笹湯・笹湯カフェ
新生笹湯と名付けられた温泉が川原湯温泉あそびの基地NOAに有る日帰り温泉「笹湯」
 

 

↑ 川原湯温泉あそびの基地NOA ↓

 

この施設の中に日帰り温泉「笹湯」が有る。 2023年7月16日撮影。

 

 

大沢橋の左側に釣り堀が有る。
人工的に水面を区画もしくは造成し、魚を放流した上で、客が料金を払い、誰でも釣りが楽しめるようにした場所のことである。

 

其の真上に聖天様露天風呂が有る。

 

聖天様露天風呂

露天風呂へは温泉街の手前左手に目立たない入口がある。川原湯温泉街を見下ろす高台にある露天風呂。

 

車だとよほどゆっくりと進み、注意深く左手を見てないと通り過ぎてしまう。

 

 

丸見えの脱衣所に混浴の浴槽。女性にはかなりハードルが高い露天風呂だといえる。
 

「吾八寿司」の横の小道を登っていく。入浴時間は朝7時~19時まで。4月~11月の期間は20時まで入浴出来る。

 

 

硫黄の臭いが周辺に漂っていおり、一目見て風呂の温度が高いことが窺い知れる。
無人の風呂では、服を脱ぐ前に湯温を測れ、が原則だ。

それを承知していない人のために。脱衣場に「ここは源泉掛け流しです。源泉は80度位あります。湯加減を確かめてからお入りください。」の注意書きが貼ってある。

 

聖天様露天風呂は、2010年6月30日21:00で閉鎖された。 入浴料は、1回100円です(当時)。2009年9月20日撮影。

 


 

ダム事業で開発された新源泉

川原湯温泉の住民は、1960~70年代、生活の糧である温泉源を沈めるダム計画に強く反発しました。2017年5月2日撮影。

 

 

しかし、建設省と群馬県の切り崩しによって温泉街は疲弊し、水没線より標高の高い山の中腹に代替地を造って温泉を引湯する「生活再建」を条件に、1992年、やむなく八ッ場ダム事業を受け入れました。

 

1989年には、群馬県が源泉から約55メートルの川原湯神社の裏手で約360メートル掘削し、新源泉を開発。

 

 

川原湯温泉の移転地である打越代替地に引湯されているのは、この「新湯(あらゆ)」(新源泉)です。

旧源泉「新源泉」に対して、水没地の川原湯温泉に自然に湧き出ている本来の源泉を「旧源泉」と呼びます。

 

 

打越代替地への配湯管の付け替え
町道建設準備 打越代替地へ新湯を運ぶ送湯管は、旧川原湯温泉街の山の中腹につくられる「町道川原湯温泉幹線街路」に埋設されることになっていますが、まだ町道ができていませんので、現在は町道建設ルートに露出している状態です。
 

 

旧温泉街では源泉が温泉街の最も標高の高いところに自然湧出し、地形を利用して各旅館に流下させればよかったのですが、代替地への温泉配湯には長距離の温泉管や揚湯施設など、膨大な設備が必要になりました。
 

 

これらの施設管理を国交省が行っていますが、ダム完成後は地元が維持していくことになります。代替地で営業している宿泊施設がわずか5軒と、かつての四分の一に減少している状況で、維持管理が地元にとって大きな負担となることが懸念されます。

 

 

↑ 新源泉では足湯も併設されました ↓

 

 

 

 

↑ 新源泉では何方でも生卵を持参して、温泉卵を作る事ができます ↓