石川門
金沢城の三之丸搦手門にあたる門で、石川郡の方向を向いている事からこの名称が名付けられました。
搦手門(裏門)といっても正面には兼六園(日本三名園)を控えた金沢城にとって重要視された門の1つです。
表門(一の門:切妻、鉛瓦葺、高麗門)、櫓門(二の門:入母屋、鉛瓦葺、外壁は大壁造り白漆喰仕上げ、潜戸付、唐破風出窓付)
2重櫓(2重2階隅櫓、木造2階建て、入母屋、鉛瓦葺、腰壁は海鼠壁、外壁は白漆喰、唐破風出窓付)

多聞櫓(続櫓:折曲り一重渡櫓、鉛瓦葺、塗籠造、白漆喰仕上、腰壁海鼠壁)
表門北方太鼓塀(延長5.0m、鉛瓦葺、海鼠壁、表門南方太鼓塀(延長5,7m、鉛瓦葺、海鼠壁)、

附属左方太鼓塀(延長94.4m、門一所付、桟瓦葺、石落一所、向唐破風造、鉛瓦葺、海鼠壁)が枡形で構成され、櫓や櫓門には石落し、1間ごとに鉄砲狭間が設けています。
金沢城は雪国ということもあり屋根には鉛で被覆した瓦(鉛瓦)が使用され(鉛瓦を採用には諸説あり、鉛と一緒に金銀を溶かし財産を隠したとも、戦さ時に瓦の鉛を溶かし鉄砲の弾にする為とも云われています)。
唐破風出窓
唐破風(からはふ)とは、日本の城郭建築などにみられる頭部に丸みをつけて造形した破風の一種。唐と付くが日本特有の建築技法である。
破風(はふ)は、東アジアに広く分布する屋根の妻側の造形のことである。切妻造や入母屋造の屋根の妻側には必然的にあり、妻壁や破風板(はふいた)など妻飾りを含む。
附属右方太鼓塀(延長148.1m、桟瓦葺、石落3箇所、各向唐破風造、鉛瓦葺、海鼠壁)
雨や雪が当る腰壁には平瓦の目地を漆喰で固めた海鼠壁が採用されました。
又、100万石の大大名の格式と威厳を示す為、唐破風や入母屋破風の出窓などを随所に設置し実践的かつ秀麗な建物になっています。
当初の石川門は前田利家が金沢城に入った時にすでに建てられていたそうですが宝暦9年(1759年)の大火により全焼し、天明8年(1788年)に加賀藩10代藩主前田治脩(前田家11代)により再建。

↑ 石川門の石垣と石川櫓 ↓
寛政11年(1799年)の大地震で大きな被害を受け文化11年(1814年)に改修しています。
現在の石川門は再建当時のもので、金沢城に残る数少ない遺構として大変貴重な事から昭和25年(1950年)1月10日に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。
石川門の案内板によると「金沢城の搦手門(裏門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれた。
櫓と櫓を長屋でつないだ重厚な枡形門に造られている。宝暦の大火(1759年)の後、天明八年(1788年)に再建され、現在に伝わっている。
昭和25年(1950年)国の重要文化財に指定された。」とあります。

石川門の石垣
石川門は枡形になっていて、最初の門をくぐると四角く囲まれた空間になっている。その先に右に折れ曲がって更に門がある。
↑ 石川門の切り込みハギ積みの石垣 打ち込みハギ積み ↓
石垣に囲まれた空間を設けることで、守りを厳重にしている。攻め込んだ敵はこの枡形で集中攻撃を受けることになる。

城郭の石垣は次の3種類に分けられる。
野面積み
自然石に近い石を積み上げたもの
↑ 石川門鉄砲狭間 石川門枡形虎口 ↓
切り込みハギ積み
石を削り、隙間なく積み上げたもの
金沢城にはこの3種類ともつかわれている。
↑ 石川門内から見た石川門枡形虎口 唐破風出窓 ↓








