ナデシコ科ナデシコ属の多年草。
原産地と名前の由来
原産は南ヨーロッパおよび西アジアの地中海沿岸といわれている。
カーネーションという名前の由来には諸説あり、肉の色の花という説や、シェイクスピアの時代に冠飾りに使われこれが転訛したもの。

あるいは戴冠式を意味する語のコロネーションが訛ってカーネーションとなったとの説もある(ギリシャ語で王冠の意味)
歴史
地中海沿岸から西アジアの原産のため古くから、可憐な花容を愛された。イスラム世界ではバラやチューリップと並んで、愛好された植物である。

イスラム教では偶像崇拝が禁止されているためモスクなどの装飾には人物及び動物表現が忌避され、アラベスクという幾何学模様や草花の文様が使用された。
このアラベスクの意匠にカーネーションの花はしばしば使用されている。

17世紀にはイギリスやオランダで300種以上の品種がみられ、フローリスト達によって栽培され、オーリキュラやチューリップ等と並びフローリスツ・フラワーの一つとして大きく進展を見た。
18世紀を通じて品種が増え、やがて「ショウ・カーネーション」が生まれ、これが19世紀の主流となった。

この花の特徴は花弁の縁の鋸歯がなくなり、花弁の配置を幾何学的な整形に近づけたもので、現代のカーネーションとは異なっている。

この時代にはまだバラの改良もそれほど進んでおらず、カーネーション、オーリキュラ、チューリップは時代の先端を行く園芸植物であった。
19世紀中頃になるとフランスでの育種が進み、1840年にダルメイスが「パーペテュアル系」を作出、更に1857年にはやはりフランスで「マルメゾン系」が誕生した。これらが現代の営利用カーネーションに繋がっている。
日本での栽培
日本には江戸時代初期以前に輸入され、アンジャベルまたはアンジャと呼ばれた。

享保年間に出版された、『地錦抄録』(1733年)には、徳川家光の時代正保年間にオランダからカーネーションが伝来したと書かれている。

しかし、このときには日本に定着せず、寛文年間に再伝来し、14種品種が紹介された。

この時期に書かれた『花壇綱目』にも「あんしやべる」の名で記録されている。宝暦年間の1755年に著された『絵本野山草』にはカーネーションはナデシコなどとともに紹介されている。
その後1909年(明治42年)に米国シアトルに在住していた澤田(名不明)が帰国の際に「ホワイト・エンチャントレス」、「ピンク・エンチャントレス」、「ヴィクトリー」、「ローズ・ピンク・エンチャントレス」等、他にも2,3の品種を持ち帰ったが栽培法に精通しなかった為、生産化には至らなかった。

後に土倉龍治郎が近代的栽培技術や体制を構築し、新しい品種を生み出し日本にカーネーションを定着させた。この業績により「カーネーションの父」と称されるようになった。

土倉は犬塚卓一と共に1936年(昭和11年)、名著「カーネーションの研究:修教社書院」を上梓している。
現在、カーネーションはキク、バラと並ぶ生産高を誇る花卉植物であり、ハウス栽培で周年供給している。しかし、最も需要が伸びるのは母の日の5月前後である。

また切り花のイメージが強いが最近では鉢植えの品種も普及している。
カーネーションの市町村別生産額日本一は、愛知県西尾市一色町地区である。

母の日
日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。
日本では、3月6日(地久節)を「母の日」としたが、1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。母の日にはカーネーションなどを贈るのが一般的。







