香取神社 勝矢祭 
毎年5月5日のこどもの日に鎧兜を身にまとった武者行列亀戸香取神社まで練り歩く人気のお祭り。



 

鎧兜の装束や陣羽織、裃(かみしも)などを身にまとった氏子や地元の子供達が亀出神社から出発し、亀戸香取神社までの2キロにわたって練り歩きます。


 

毎年その姿を一目見ようと10万人近い人が見に来る大人気のお祭りです。

平将門の乱を平定した藤原秀郷が戦勝の返礼として弓矢を奉納したとの故事に由来した行事です。



 

↑ 勝矢祭出陣式  公用陣笠 ↓

 

陣笠は、戦国時代に足軽が使用していた機能性を重視した簡素な物とは異なっています。

 

単純な円錐形ではなく、陣笠の縁を反らせた形状で、表だけでなく裏にも塗りが施され、金銀の箔が貼られることもあるなど、芸術品・装飾品としての側面を有していたのです。

 

 

平安時代の鎧兜の装束や陣羽織、裃などを身にまとった氏子たちの武者行列が香取神社の兼務社である亀出神社から亀戸駅前を通り香取神社までの約2Kmを練り歩きます。

 

香取神社到着すると、本殿で「勝矢」奉納の儀式が厳かに行われます。



勝ち鬨と交通規制 
日本語における鬨
鬨をあわす、鬨をつくる
戦の始めに両軍は互いに声を発した。日本は「えいえい」という大将の掛け声に呼応して軍勢一同が「おう」と声を合わせ、これを三度行なったという。

「えいえい」は前進激励の「鋭」、「おう」はそれに応じる「応」の意であるという。「えいえい」は前進激励の「鋭」、「おう」はそれに応じる「応」の意であるという。




交通規制
交通規制の目的
交通規制は、次の3つの目的を達成するために行います。



 

↑ 予め予告し日時に交通規制を実施 ↓

 


↑ 1.「道路における危険防止」 ↓


道路における交通事故等の危険を防止するため。

 

 

 

↑ 2.「交通の安全と円滑を図る」 ↓

 

道路を通行する者が、安心かつスムーズに移動できるような道路交通環境を確保するため。
 

 

 

↑ 3.「道路の交通に起因する障害の防止」 ↓

 

車の走行に伴い発生する大気汚染、騒音及び振動により人の健康又は住民の生活環境に生ずる被害(交通公害)を防止するため。
 

 

道路標識と道路標示
道路標識は、特定の交通方法を示すための規制や指示を一定の様式化された表示方法によって表すものです。

 

また、道路標示は、路面にペイントや石などで線、記号又は文字を表示し、道路交通に関する規制や指示を表すものです。
 

 

香取神社の御祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)は千早振る神代の昔畏くも皇祖の神勅を奉じ、鹿島大神と共に豊葦原瑞穂国(日本国)の平定に手柄を立てられた威霊優れた国家鎮護の神として仰がれる我国武将の祖神であります。


 

↑ 武者行列 ↓

 

 

然も御本宮が神武天皇の御代に東国下総に鎮座されましたことは非常に意義のあることで、日本国の守護を固めた事になり、更に農業に深い関係があり、国土開発に多大の功績のあった産業の祖神でもあります。 



故に大和朝廷におかれても殊に崇敬が篤く、中臣氏(後の藤原氏)は香取・鹿島両宮を氏神として忠誠を捧げ崇敬を尽くされたのであります。

 

経津主神(ふつぬしのかみ)
相殿に武甕槌神(たけみかづち)
大己貴神(おおなむじ)


 

勝矢祭
香取神社創設は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。 


 

 

天慶の昔平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。

 

現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。 


 

以来、益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。


 

当時の葛飾は下総国の大半を意味します。 元禄10年検地の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられています。


 

香取神社奉納刀七振  江東区有形民族文化財


 

香取神社に代々伝えられてきた奉納刀。本社である千葉県の香取神宮、茨城県の鹿島神宮と並び、武士の神として信仰を集めていたことにより奉納されたものである。

 

銘文のある刀のうち、「陸奥會津住道長」は、寛文・延宝期(1661~80)に活躍した刀工、三善道長の可能性がある。


 

こしらえはさほどではないが、貴重な作例である。また、「備州住兼光」銘の短刀は、有名な備前長船派の名刀工、兼光を模したものと推定されている。


 

香取大神は天より国土平定に当たられ、日本建国の礎を築かれた大功神であり、歴代の天皇をはじめ源頼朝・徳川家康・秀忠・頼房等の武将の篤い崇敬を受け、又塚原ト伝や千葉周作をはじめ多くの剣豪の崇敬も篤く、現代でも武道修行の人々は大神を祖神と崇めております。 


 

↑ バトントワリング ↓

 

 

バトンと呼ばれる両端にゴム製のおもりをつけた金属の棒を回したり、空中に投げたりする演技を行うパフォーマンスないし、それを体系化したスポーツである。
 

 

↑ バトントワラー 鼓笛隊 ↓

 

 

バトントワリングの演技者をバトントワラーと呼ぶ。
軍楽隊の男性の指揮者が指揮杖を振り回したのが原型とされ、同様のパフォーマンスを行う女性の指揮者も見られるようになった。

 

やがてバトン演技を行う複数人による編成となりパレードなどでマーチングバンドと共に行動するようになった。

 

 

鼓笛隊
日本での西洋音楽の受容のはじまりは、西洋式軍制の導入とともに入ってきた鼓笛隊であるとされている。

1869年には横浜市の妙香寺で薩摩藩士の軍楽伝習生がジョン・ウィリアム・フェントンから管楽器の演奏法を教授されている(いわゆる薩摩バンド)。

明治、大正期には日本各地でこれらの組織が作られることとなる。昭和期になるとトランペットなどの金管楽器の他、様々な打楽器が加わることとなる。

 

 

最近ではスポーツ振興の神として広く氏子内外を問わず参拝されております。その他交通 安全・家内安全・厄除・開運祈願等御神徳の随に毎日このような趣旨による御祈願を受け付けて御奉仕いたしております。




宝船 (道祖神祭祭具)
江東区有形民俗文化財
「千艘万艘御ふねが参った。銭でも米でもどんと一ぱい、おっつめろ。さいの神を祝う。」と氏子の子どもたちがはやす文句がある。

 

↑ 都立城東高校薙刀(なぎなた)部と剣道部 ↓

 

 

江戸時代には毎年正月14日に道祖神の祭りが行われていた。この宝船はその時に使われていた祭具で、竿から垂らした縄で船を吊るしてかつぎ亀戸から両国の辺りまでを練り歩いた。



 

紙本淡彩道祖神祭図
安藤広重筆 江東区有形文化財(絵画)
道祖神祭の人物や宝船を墨で描き、朱、青等で淡彩を施している。画面右側から宝船が進み、それを担ぐ人物とその周りではやす子どもたちが描かれている。

画面 右上に「年中行事亀戸道祖神祭」と題があり、右下には「廣重」の署名と落款がある。宝船の旗には「寶船 亀戸村 氏子」と描かれている。

安藤広重肉筆の貴重な作例で、晩年の作と推定されている。 安藤広重(1797~1858) 浮世絵師。江戸の生まれで、本名は徳兵衛という。代表作「東海道五十三次」



 

建武年間(1334~37)香取伊賀守矢作連正基が始めて当社に奉仕し、香取神社初代神職となり、応安4年(1372)社殿再建、降って大永3年(1524)修造を営み、後寛永3年(1627)4月8日本殿改築に着手、同年9月24日竣工、文政年間(1818~29)拝殿造営、明治5年11月16日村社に定められる。

昭和20年3月9日第二次世界大戦にて本殿炎上、同23年8月社殿再建。更に昭和63年10月19日現在の社殿が建立されました。

明治11年に完成したもので、約5年の歳月をかけて製作されました。


 

一度担がれれば、屋根の部分・胴体の部分・台座の部分とそれぞれが別の動きをすることから、俗称で「こんにゃく神輿」と言われ、現在国内に2基(1基は九州)しか存在しない、珍しく、貴重な神輿です。