灯籠
東アジアの伝統的な照明器具の一種であり、日本・中国・朝鮮半島・ベトナムなどの国々に広く分布している。


 
 

寺院
灯籠はもともと仏像に清浄な灯りを献じるために仏堂などの前面に配置された。

古代寺院においては、伽藍の中軸線上に1基置かれるのが通例だった。

 

そのため、左右非対称の伽藍には灯籠の遺構は見られず、中軸線が確認できる伽藍においてのみ確認されている。これは平安末から中世における浄土寺院においても同様である。



神社
神社では、神前の「みあかし」用、献灯用に灯籠が用いられる。また、庭上用、社頭装飾用等にも使用される。

なお、神社での灯籠の種類は、木灯籠、金灯籠、石灯籠、釣灯籠、懸灯籠等に分類される。ところで、神葬祭や夜間の神事では、陰灯(かげとう)を使用する。これは陰灯籠とも言う。


 

↑ 大庫院(だいくいん)模型 ↓

 

 

降神、昇神、遷座の儀など、灯火を消して行う浄暗中の神事に、明かりを隠して、かすかに一方だけを照らすためのもの。陰灯は檜薄板製で長方形の箱状で正面には長方形の小穴があり、明かり取りとし、中で蝋燭をともす。


 

日本庭園
日本には飛鳥時代に仏教が伝来したのと同時に灯籠が伝来した。
大庫院の鉦
初期はその多くが「献灯」と呼ばれ、社寺に設置されていたが庭園文化の発達と共に園内に鑑賞目的で石灯籠が設置されるようになった。

石質は花崗岩が主流で、その中でも御影石は石灯籠の中で最も多い。


 

大庫院(だいくいん)
曹洞宗の大本山の永平寺。大庫院は、庫裏(くり)にあたる堂で、1階には修行僧や参籠者の三度の食事を作る「典座寮」と呼ばれる台所となっています。



 

↑ 大庫院 大擂粉木棒 ↓

 

 

道元禅師は食事の作法を尊ぶ、食事を整えることは、つまりは命を預かる大事な務めというわけなのです。

食事作りは道元禅師の精神に準じて、雲水が持ち回りで担当しています。


 

現在の建物は昭和5年の改築
地上3階地下1階の近代木造建築で、建築当時のエレベーターが現存し、可動するエレベーターでは日本最古といわれています。
 


 

玄関正面には守護神である韋駄尊天(いだそんてん)が祀られています。
庫院前に掛けられた擂粉木(すりこぎ)は、永平寺の名物として有名です。

2階は来賓接待の間、3階は和室の150畳敷の「菩提座」と呼ばれる大広間で、団体の宿泊、法話の会場などにも使われています。


 

大庫院の鉦(しょう)
仏具の一。読経・念仏などのおり、撞木で打ち鳴らす丸い青銅製のたたきがね。鉦鼓。

雲水(修行僧)さんが鉦を打って食事の時を知らせます。


 

仏教における鉦鼓
単に鉦(かね・しょう)とも称され、金属(青銅)製のものを言う。


 

通常は「架」(か)と呼ばれる台にかけて一本の槌(撞木)でたたいて音を出すが、京都六波羅蜜寺に伝わる空也像のように首に「架」をつけ、それに鉦鼓をかけて使用することもある。


 

形象は、円盤状で上方2箇所に「架」につるすための穴があけられている。

 

日本の寺院における鉦鼓の歴史は古く、747年(天平19年)に成立した『大安寺伽藍縁起並流記資財帳』にも記載され、古くは4面1組であったようである。



 

法喜禅悦(ほうきぜんえつ)
禅寺では、朝食の主食はお粥、昼食はご飯です。転じて「お粥」「ご飯」を「食事」という意味でも用います。



 

「赴」は赴おもむく、つまり「行く」という意味で、ここでは「食事の作法を行じる」という意味合いになります。つまり『赴粥飯法』の書名は直訳すれば「食事に赴く際の作法と心得」で、現代的にひらたくいえば禅僧のテーブルマナー指南書といって良いでしょう。


 

この書は道元禅師が永平寺で著されました。今から800年近く前に記された作法が今も連綿と受け嗣がれ、日々実践されています。

冒頭で此この食じきは、法喜禅悦ほっきぜんえつの充足じゅうそくする所なり(食事という行為はみほとけの教えが余すことなく顕あらわれた仏法そのものであって、禅の教えに満ちた深い喜びを味わうことなのだ)と示して、食事をどうとらえるべきかという禅思想が説かれ、その後は詳細なる食事作法が誠に懇切丁寧に示されています。



 

木鉦
なお、主に日蓮宗の寺院で使用されるものに木製の鉦があり、通常木鉦(もくしょう)と称される。

形状は、円盤状もしくは長方形の箱型をしており、箱型のものは内側がくりぬかれている。青銅製の鉦鼓が「架」にかけて使用されるのに対し、木鉦は通常おいて使用される。