欄間

日本の建築様式にみられる建具の一種。採光、通風、装飾といった目的のために天井と鴨居との間に設けられる開口部材をいう。



 

なお、広義には「ランマ」と表記して洋室などに付けられる「回転ランマ」のように室内通気用部材(建具)をいうこともある。


 

日本建築の欄間
欄間は内法鴨居(あるいは内法長押)と天井との間に設けられ、換気や採光の意味もあるが、座敷間の釣壁に設ける場合にのように装飾が主要な目的となっている場合もある。


 

内部の装飾の手法によって、筬(おさ)欄間、角柄欄間、隅切欄間、櫛形欄間、組子欄間、竹の節欄間、透彫欄間などがある。

奈良時代から寺社建築において採光を確保するために用いられたと考えられ、後に貴族の住宅建築にも用いられるようになり、江戸時代以降には一般住宅にも採り入れられた。


 

代表的な産地は、富山県南砺市井波地区(井波欄間、井波彫刻)と、大阪府()大阪欄間である。

井波彫刻及び大阪欄間は1975年に通商産業大臣から伝統的工芸品の指定を受けており、大阪欄間は2006年に地域団体商標として登録されている。


 

禅宗の象徴傘松閣絵天井の間に掛かる達磨図
達磨図の由来
縁起物として飾られる達磨のモデルは、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧「菩提達磨」です。



↑ 可崖和尚 筆 ↓

 

達磨は現在の中国の河南省にある「少林寺」で、壁に向かって座禅を組んで九年過ごし、悟りを開きました。

また、達磨は座禅を組んでいるうちに両手と両足が腐り落ちてしまったといわれており、その姿が日本で昔から親しまれてきた「おきあがりこぼし」と結び付いて現在の「だるまさん」に変化しました。


 

何度転んでも起き上がるおきあがりこぼしの「だるまさん」と、手足を失っても座禅を組み続けて悟りを開いた菩提達磨の姿に不屈の精神や逆境に打ち勝つ力のイメージが重なったこと、菩提達磨が日本で魔よけの色とされる「赤」の法衣を身に着けていたといわれていることから、達磨図や「だるまさん」は魔除けの力を持つ縁起物として親しまれるようになりました。
  

              

 

仙厓 義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年)4月 - 天保8年10月7日(1837年11月4日)
江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家。禅味溢れる絵画で知られる。

寛延3年(1750年)農民井藤甚八の子として美濃国武儀郡で生まれた。
11歳の頃清泰寺において臨済宗古月派の法を嗣ぐ空印円虚(1704-1784)について得度し、臨済宗の僧となった。

19歳の時、武蔵国久良岐郡永田(神奈川)の東輝庵に住する月船禅彗(1702-1781)のもとで修行をはじめ、その後印可を受け、月船が示寂した天明1年(1781年)32歳のとき同寺を出て行脚の旅に出る。
 

39歳より博多の聖福寺の盤谷紹適の法嗣となる。住持を23年務め、一応の引退となる。88歳で遷化するまでに、多くの洒脱・飄逸な絵画(禅画)を残す[3]。

本格的に絵を描き始めたのは40代後半になってからと見られている[4]。仙厓の絵は生前から人気があり、一筆をねだる客が絶えなかった。

83歳の時、庭に「絶筆の碑」を建て断筆宣言をしたが結局やめられず、没年まで作品は残っている。

昭和初期に「仙厓ブーム」ともいえるほど仙厓の研究熱が高まった時期があり、多くの作品が各地から発見され、逸話や論説が乱立した。仙厓の絵のコレクターとして出光佐三が知られ、そのコレクションは東京の出光美術館に収蔵されている。

2022年5月21日永青文庫「仙厓ワールド ―また来て笑って!仙厓さんのZen Zen禅画」展など各地で展覧会が開催されている。

七福神布袋様
唐代末から五代時代にかけて明州()(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。



 

水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では七福神の一神として信仰されている。



 

備前焼大壺 榮山窯
同じ色は出せない焼き物の宝石と呼ばれる色。青味がかった流れ。

越前焼の窯元で永平寺町で作陶し、穴窯にて焼成しています。

釉薬をかけず、自然釉のみで、黒、青、緑、茶など色々な色を出しています。



 

香炉
固体状の香料を加熱し、香気成分を発散させる目的で用いる器具。

数える単位は蓋のある容器を数える合(ごう)、もしくは据えて使うものを数える基(き)。

仏具の香炉は香を供えるためのもので、燭を供えるための燭台(灯明)、華を供えるための華瓶(花瓶、花立て)とともに三具足の一つとされる。

仏具の香炉は炭や火種を入れて香を焚いたり、点した線香を立てるための道具である。


 

永平寺七十九世福山諦法禅師
曹洞宗管長・永平寺79世貫首、仏教伝道協会理事長。道号法諱「絶学諦法」、慈航玄徳禅師。 

東京都出身。旧姓小野田。11歳で愛知県新城市鳳来町に学童疎開。
1946年、愛知県豊川市の妙厳寺(豊川稲荷)の修行僧となる。

旧制豊川中学校を経て、駒澤大学仏教学部を卒業。1958年、永平寺に入山する。

40歳で豊川閣妙厳寺住職となり、福山姓を襲名する。

永平寺副貫首を経て、2008年1月19日、永平寺第79代貫首に就任。同年に仏教伝道協会第7代理事長に就任。

2016年1月22日より曹洞宗管長に就任(3度目)。任期は2年で、大本山永平寺貫首と大本山總持寺貫首が交互で就任することとなっている。


 

2020年9月29日を以て、永平寺貫主を退董(勇退)した。
2021年9月10日、遷化。88歳没。