石垣市内
沖縄県では沖縄島と西表島に次ぐ3番目に大きな石垣島と、尖閣諸島とからなる。尖閣列島は現在は無人島で、実質的には一島一市である。


 

↑ 石垣市内へ ↓

 

 

石垣島の南部は平地が多く、人口が集中している。北部は山がちで裏石垣と呼ばれる。前近代においてはマラリアの蔓延する地域であったため、集落そのものが少ない。琉球王朝時代に強制移民が行われた歴史もある。

 

沖縄県最高峰の於茂登岳(標高526m)を中心とした山塊は照葉樹林に被われ、動植物の固有種も多い。




塩害で朽ちる
海岸近くでは海水に含まれる塩分により種々の塩害が生じる。

塩分を含んだ潮風が吹き付けることや、海岸や河川河口近くの土壌内への海水浸透、津波による一時的な冠水などによる塩害が起きる。

海水塩に由来する塩害は、通常は海岸から数kmまでの地域で生じるが、台風の強風などにより海岸から遠く離れた内陸部まで被害が及ぶ場合もある。


 

海人工房 石垣本店
漢字Tシャツの発祥の地として「海人」Tシャツをメインに扱いながら、様々なお土産品も置いてあります。

 

 

オリジナルTシャツの作成も出来、単なるお土産品店にとどまらない店舗です。


 

 

↑ レストラン等が並ぶ桟橋通り ↓

 

桟橋通り
石垣市街中心部、730交差点から北に伸びる通りです。

 

八重山諸島で唯一の国道となる390号線で始まり、八重山郵便局のある交差点からは県道87号線となります。ちなみに右折すれば国道のまま、左折すればゆいロードとなります。

 

 

この先、どこまで桟橋通りと呼ぶかは定かではありませんが、県道87号線は石垣島中央を縦断し、於茂登トンネルを抜け海岸沿いの富野まで続きます。
 

 

さんばし通り/パンナ公園
石垣島と言えば「やっぱり海!」という方は多いでしょうが、忘れてはいけないのが「山の魅力」です。


 

その中でも県立の森林公園「バンナ公園」では、特に展望台からの景色が海に行くよりも最高のオーシャンビューを見ることができます。


 

730記念碑
日本最西端の国道交差点。
市街地の中心部にある国道390号線の拠点となる730交差点です。

 

その交差点脇に建てられた730(ななさんまる)記念碑は、1978年07月30日に自動車が右側通行から左側通行に変更された記念として建てられました。

 

終戦後沖縄は米軍に占領されていた為、右側通行、1972年5月15日に日本に復帰した後も 右側通行が続き約6年後に左側通行へ戻りました。




車両は原則として道路中央よりも左側の部分を通行しなければならないとする左側通行と、この逆に車両は原則として道路中央よりも右側の部分を通行しなければならないとする右側通行とがある。

 

日本においては左側通行が採られ、道路交通法第17条第4項に「車両は、道路の中央から左の部分を通行しなければならない」と定められている。

したがって、車両は原則として道路の中央から右の部分にその全部又は一部をはみ出して通行することができない。ただし、以下の例外がある(道路交通法第17条第5項)。


当該道路が一方通行の場合

当該道路の左側部分の幅員が当該車両の通行に十分でない場合

当該車両が道路上の何らかの障害(道路の損壊や道路工事など)のため当該道路の左側部分を通行することができない場合

法令上追越しのために右側部分にはみ出して通行することが禁止される場合を除いて、当該道路の左側部分の幅員が6メートルに満たない道路で他の車両を追い越そうとする場合

勾配の急な道路のまがりかど付近で道路標識等により通行の方法が指定されている場合において、当該車両が当該指定に従い通行する場合(なお、このような道路で通行方法を指定するために路面上に描かれる白矢印の標示は、「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」の別表において「右側通行」の標示として定められている)]


 

歴史
日本では警視庁が1900年(明治33年)6月21日に道路取締規則を制定し、左側通行を初採用した。

原案を作成した松井茂警視庁第二部長(交通警察責任者)は「特別な理由や研究に基づいたものではない。

古来日本では武士が左腰に大小を差していたため...自然に左側を通る習慣がついたという説があり、また、明治22年制定の『人力車営業取締規則』では、車馬が行き合うときは、互いに左に避けることになっていたことなどを参考として...」などと述べている(『警察協会雑誌』大正13年6月号)。

通行側採用の理由に明治政府が、イギリスの制度に範をとったためとする説は誤りである。

左側通行制は、1920年(大正9年)12月、「内務省令第45号道路取締令」施行で全国的に行われることになった(警視庁編「警視庁史」、日本における道路交通法規の変遷「道路取締令」ほか)。

一方、ヨーロッパ大陸諸国においては、ローマ帝国の時代には左側通行が採用されていたという記録がある。

その後の右側通行については、馬車の馭者は右手で鞭を振るうので、対向する馬車に鞭を当てないために自然と右側通行になったという説。


 

フランス革命の際に教会の定めていた左側通行に対抗して右側通行にし、その後、ナポレオンがヨーロッパ各地を占領していったことで普及したなどといった説がある。

アメリカ合衆国の右側通行は、道路行政を担当した官僚が自分の出身地に合わせたという説や、独立によってイギリスの支配から脱した記念に転換したとする説などがある。

しかし、どの説も決め手に欠け、なぜ左/右側通行になったのかはっきりとわかっていない。