由布島小学校
もとは無人島だった由布島に、人が住みはじめたのは昭和20年のこと。昭和44年の台風による高潮で島が水没、3世帯を残して住民は対岸の西表に、美原という集落をつくって移住した。



 

現在は、由布島内に植物園の寮があり、20人ほどの人が暮らしています。
学校があった場所には、現在、正門のみ当時のまま残り、「由布小中学校」の文字が見えます。


 

旧校門跡
その面影が残っているのが、この旧校門跡です。今では5種類の植物で生育しており、小動物たちの棲みかとなっています。

 

門柱は散策路に溶け込むように建っており、横には歴史を示す黄色い案内板があります。

由布島はかつて人口が300人いたため、小中学校が存在しました。


由布島にあった島小学校(のち由布小学校)は、へき地(僻地)等級5級格でした。

 

児童数12名(男子7名女子5名)に教員1名で、昭和23年4月竹富初等学校由布島分教場として開校し、昭和46年閉校しました。



 

校舎は地元民の手作りで木造茅葺で床は土間のままでした。教室は高学年と低学年が衝立で仕切って使っていました。
 

度重なる台風の度に校舎は壊れ机や椅子も壊れました。父兄ばかりではなく生徒たちも総出で修復に取り組みました。

 


昭和24年11月の台風によって校舎は全壊してしまいました。


昭和26年12月、政府の援助を取り付け、場所を移転し新たにブロック塀と赤レンガ屋根の校舎が建設されました。


 

へき地学校の等級

準へき地・1級地・2級地・3級地・4級地・5級地の6段階に分けられており,数字が大きいほどへき地の度合いは高くなります。

この級数の判断は,「へき地教育振興法施行規則」(昭和34年7月31日文部省令21号)により定められており,判断要素は「駅又は停留所,病院,診療所,高等学校,郵便局,教育委員会,市の中心地,県庁所在地又はこれに準ずる都市の中心地,船着場までの距離」などにより決められます。




この等級によって,教員にはへき地手当が支給されます。その値は本俸に対する付加額で示され,準へき地が4%,1級地が8%,2級地が12%,3級地が16%,4級地が20%,5級地が25%となります。


 

公民館
現代の日本において住民のために、実際生活に即する教育・学術・文化に関する各種の事業を行う教育機関のことである。


 

公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術および文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする(社会教育法第20条)。


 

公民館は、市町村ないしは特別区が設置する(社会教育法第21条第1項)。市町村(特別区を含む)が設置する場合を除くほか、公民館の設置を目的とする一般社団法人・一般財団法人でなければ設置することができない(社会教育法第21条第2項)。


 

↑ 旧公民館内に掲示された「由布島物語」 ↓

 

 

より気軽に住民が利用でき、高齢者の孤立を避けるなどの目的を兼ねた集いの場として、個人が「Co-Minkan」を開く運動もある。いわば「私設公民館」で、デンマークの教育施設フォルケホイスコーレを参考にしているが、社会教育法が定める公民館とは異なる。


 

↑ 「由布島物語」由布島の栄枯盛衰を年表として見ることができました ↓


 

由布島の旧井戸跡

由布島では1mも掘り下げると“真水”がでます。今は西表から水道が引かれていますが、当時大変重宝されていました。