由布島/水牛
西表島の東約0.5kmに位置する八重山諸島の島である。行政区域は、全島が沖縄県八重山郡竹富町字古見に属する。


 

↑ 由布島に上陸 ↓


 

概要
西表島の東岸直近に隣接する総面積0.15km2、周囲2.0kmの小島である。島全体が「亜熱帯植物楽園」と呼ばれる植物園になっている。

昼間はピーク日で1,117人もの観光客で賑わう一方、住民基本台帳上の人口は16人(2020年3月末時点)と住民は少ない。

植物園で飼養する水牛が増えた結果、住民よりも水牛の数が多くなっている。



 

↑ 水牛車待合所 ふれあい体験案内 ↓

 

 

 

水牛の碑
「由布島を繁栄させし 大五郎 花子を始祖とする 水牛一家に対し 感謝の碑を建立する。 2001年10月」という碑文が書かれています。

 

大五郎、花子の2頭からスタートした油布島の水牛が40頭にまで増えているわけです。


 

由布島/ふれあい体験
特別な訓練を受けた水牛ルイ君とお散歩出来ます。ルイ君とのふれあい体験は毎日11:00〜15:00



 

↑ 見たり遊べたり ↓

 

 

 

琉生(ルイ)・雄・7歳(人間年齢21歳)
由布島一大人しく、知らない人が近づいたり触っても動じない性格の為、50頭近くいる由布島の水牛の中で唯一お客様が触ることを許されている水牛です。


 

甘えん坊な一面もあるルイ君は、お客様から大人気。いつも通りのマイペースな感じでお客様にふれあい体験を楽しんでいただいていました。




↑ ルイ君と水牛の池 ↓




歴史
近世、稲作に不適であった竹富島や黒島の島民は、西表島に水田を開き舟で通って耕作を行っていた(通耕)。



 

その際、マラリアの有病地であった西表島を避け、無病地であった由布島に田小屋と呼ばれる仮住居を置いたのが、確認されている範囲での人が住むようになった始まりとされる。


 

太平洋戦争後、1947年(昭和22年)に竹富島や黒島から移住が行われて由布島に集落が成立。



 

果樹や甘蔗が栽培され、各戸で水牛を飼養するようになった。人口も増加し、1948年(昭和23年)には学校(島分教場)が開校。のちに由布島小中学校などに改称。


 

1964年(昭和39年)頃には島民111人、25世帯を数えた。当時は石垣島との間に定期航路(春風丸)もあったほどである。往時は、竹富島由来の種子取祭が執り行われていた。


 

しかし、1969年(昭和44年)9月26日にエルシー台風(日本名・昭和44年台風11号)により島全域が水没するなど壊滅的な被害を受け、1971年(昭和46年)8月8日には11世帯が対岸の西表島へと移住して美原集落を形成し、由布島には3世帯のみが残った。


 

↑ 由布島レストラン↓

 

 

その後、由布島ではヤシの植樹などが行われ、1981年(昭和56年)4月1日に植物園が開園。徐々に施設を拡大して今日に至っている。



 

1990年(平成2年)には、島内の電力技術に携わっていた明電舎のCMで紹介され、知名度が向上した。

 


 

地理
西表島の与那良川からの堆積砂が海流により堆積して形成された島である。由布島という島名も、砂州を現地の言葉で「ユブ」と言うことが由来と考えられている。

 

島の全域に沖縄県八重山郡竹富町字古見687番地が割り当てられている。


 

交通
由布島と西表島の間の海は、通常は大人の膝に満たないぐらいの深さしかなく、満潮時でも1mほどにしかならない。


そのため、由布島と西表島間の移動手段として水牛車が利用され、島の重要な観光資源になっている。

 

 

また、潮位が低く波が静かなときには、徒歩で渡ることも可能であるが、水牛車の通行を妨げないために、西表島から由布島への海中に建てられた電柱の横を歩くことがルールとなっている。
 

 

西表島交通が運行する西表島の東西を結ぶ路線バスが、由布島に最寄りの「由布水牛車乗場」停留所を経由する。水牛車乗場から由布島までは、水牛車で約15分、徒歩で約5分である。