↑ 今朝開催された湯かけ祭りの宮司や巫女さんは此処で着替えをしたらしい ↓

 



 

↑ 湯かけ祭りで掛けられた温泉が道路を流れて「やまきぼし」前も凍り付いていた ↓

 

 

 

↑ 「やきまぼし」と向かい合って建つ「丸木屋旅館」 ↓

 

 

 

↑ 転居解体された土産物店二軒の跡地は危険個所のため塀で囲われた ↓

 

 

↑ 打越地区の代替地 共同浴場王湯・公園広場の様子 ↓

 

 

↑ その塀に国交省が掲示した移転代替地の完成予想図 ↓

 

 

 

↑ 移転前の共同浴場王湯 ↓

 

 

 

↑ 共同浴場王湯と其の前にある芭蕉の句碑右端 ↓

 

 山路来て 何やら床し 菫草

 

 

川原湯温泉「柏屋旅館」の解体作業始まる
川原湯温泉街の柏屋旅館の解体作業が始まったとのニュースが群馬版の各紙面で報じられています。

 

 

再川原湯温泉街の坂道の一番上にある柏屋さんは、戦後の高度成長期、女将さんの大活躍で、川原湯で最も収容人数の多い宿として隆盛を誇ってきたことが知られています。


起胸に旅館「柏屋」解体 八ッ場ダム水没地再開の日は未定ー

 

八ッ場ダムの水没予定地、長野原町の川原湯温泉でまた一つ、老舗旅館が姿を消す。最大収容人数(150人)を誇った「柏屋」が15日、国との移転補償契約に基づき、取り壊し準備に入った。


豊田幹雄社長(45)と若女将(おかみ)の香織さん(38)は、ダムが出来れば湖畔になる移転先での再開を期すが、代替地の工事は遅れている。夫妻は不安を抱えたまま、由緒ある看板を下ろした。

柏屋はダム中止騒動の影響で「先行きが見えない」と昨年4月から宿泊営業を休業していた。


 

↑ 柏屋の裏側の塀に描かれた観光名所と八ッ場ダム天端高の関係 ↓

 

 

2009年秋の政権交代後、川原湯温泉街で7軒営業していた旅館は5軒に減少。柏屋の隣の「高田屋」も4月に更地になった。

柏屋ではこの日、新館の内装解体に着手した。建物自体を取り壊すのは年明けの予定という。幹雄社長は「めそめそしていても仕方がない。

看板にも2、3年、休息してもらい、次へのステップにしたい」と前向きに語った。


 

代替地が完成していない状態での取り壊しについては「不安だが、民主党政権で今後、どうなるか分からない。

補償をもらえるうちに契約し、資金を蓄えたかった。世間にも上(代替地)の新しい場所で再開するというアピールになるし、野田首相や前田国交相に『早くしてくれ』と訴える狙いもある」と明かした。

柏屋は江戸末期に創業。1950年築の木造3階建て本館とその後に建て増しした鉄筋4階建て新館に30室を備え、ピーク時には年間約2億円近い売り上げがあった。

しかし、近年はダム問題の影響などで観光客が減り、赤字経営が続いていた。宿泊営業をやめた昨年4月以降は、不定期に日帰り入浴客を受け入れながら、蓄えを切り崩す日々だった。

今後、代替地に温泉と介護の混合施設を営む青写真なども描いているが、移転予定のJR川原湯温泉新駅付近は、用地交渉の難航などで整備が遅れている。

昨年5月に幹雄社長と結婚し、女将修業中の香織さんは「何年先に旅館ができるかわからず、将来の話が夢物語のようで、すごく歯がゆい」と打ち明けた。

 



↑ 柏屋の真後ろに川原湯神社が有ります。 参道の石仏 ↓

 

 

川原湯温泉の旅館5軒に
川原湯温泉街の老舗旅館、高田屋旅館が長期休業に入ったニュースが群馬版新聞各紙に掲載されました。

 

2005年の代替地分譲基準調印後、代替地計画を核とした八ッ場ダムの生活再建事業の矛盾が噴き出し、川原湯温泉街を取り巻く状況は悪化の一途を辿ってきました。

高田屋さんへのインタビュー記事は今週発売の週刊金曜日(11/26号)にも掲載されています。

 

↑ 柏屋と隣り合う老舗旅館高田屋 ↓

 

2005年の代替地分譲基準調印後、代替地計画を核とした八ッ場ダムの生活再建事業の矛盾が噴き出し、川原湯温泉街を取り巻く状況は悪化の一途を辿ってきました。

高田屋さんへのインタビュー記事は今週発売の週刊金曜日(11/26号)にも掲載されています。
 


敬業館みよしや
朝日新聞が80年も前の湯かけ祭りのビデオを公開しました。わずか1分余りの映像ですが、当時の川原湯温泉の様子を伝える貴重な記録です。

地元の古老の話によれば、第二次大戦開戦当時、川原湯地区の戸数は50戸足らずでした。

当時の若者は、出征時、川原湯神社でお参りをして、神社に集まった住民に見送られたということです。

80年前の映像では、いずれも木造・低層の建物だが、戦後、川原湯温泉の隆盛に伴い、建て替えられた。

敬業館は吾妻渓谷を愛した若山牧水が1920年5月に10泊した老舗旅館だが、戦後、所有者だった有力者が手放し、解体当時は土建業者の所有になっていた。




創業215年 高田屋旅館が休業 「代替地で必ず再開」
八ッ場ダム問題の地元、長野原町・川原湯温泉の老舗旅館「高田屋旅館」(豊田明美社長)が25日から休業した。

ダム問題の先行きが不透明で、赤字脱却に向けた長期的な経営戦略が立てられないとして、7月に休業を表明していた。豊田社長(45)らが同日朝、休業前の最後となる宿泊客を見送った。

 


 

24日は宿泊客が23人訪れ、12室が満室に。「多くのお客さまか『早く再開してほしい』『ダムに負けないで頑張ってほしい』と激励を受け、感激した」と豊田社長。

25日朝に宿泊客を見送ると、「お客さまをお迎えできないと思うと寂しいが、高田屋の長い歴史からみれば一時的なこと。何年先になるかわからないが、ダム問題が落ち着いたら、移転先の代替地で必ず旅館を再開したい」と決意を語った。


 

創業は江戸時代の寛政7(1795)年で、温泉街屈指の老舗旅館。


温泉はもちろん、7代目となる豊田社長が砂塩風呂や岩盤浴などに積極的に投資して集客に努め、女性客らに人気が高かった。


 

地元食材をふんだんに使った釜飯が名物だった。
温泉街には最盛期に20軒以上の旅館があったが、営業を続けているのは5軒のみとなった。

高田屋 最後の営業 川原湯温泉 常連客別れ惜しむ
全12の客室は常連客や団体客ら23人で満室で、江戸時代創業の215年の歴史をもつ老舗との別れを惜しんだ。

5、6年前から10回ほど来ているという東京都台東区の飲食店経営大沢誠さん(51)、敏子さん(39)夫婦は22日の読売新聞夕刊で休業を知り、急きょ仕事を休んで駆けつけた。

川原湯の軟らかい泉質と砂風呂がお気に入りで、大沢さんは「体の芯から温まり、日頃の疲れも一気に吹き飛ぶ」といい、休業には「さみしさを感じる。

政治に振り回され、犠牲になるのは一般の人ですね」としんみりとつぶやいた。


 

夕食の席では、親しい従業員茂木研さん(59)と思い出話に花を咲かせた。茂木さんが「一刻も早く再開できればいいですね」と言うと、「その時はまた来ます」と大沢さん。茂木さんは「お互い健康に気をつけてまた会いましょう」と深々と頭を下げた。

同温泉街は現在地より約30メートル高台の代替地に移転する計画があるが、完成時期がずれ込んでいる。

7代目社長の豊田明美さん(45)は「営業を続けたかったが、2006年以降、売り上げは減り、背に腹は代えられない。

何代にもわたって利用してくれたお客さんの思い出がダム問題のねじれで無くなるのは申し訳なく、悔しい。いつか必ず再開したい」と語った。

高田屋の休業で、温泉街にかつて22軒あった旅館は5軒になる。昨年秋の民主党への政権交代以降の休業は「柏屋」が3月に宿泊営業を休止して以来2軒目となる。

 

 

川原湯神社境内に掘られた「新川原湯源泉」