徹底的な厄払い
祭としてのウブな部分が見えなくなってきつつある現在、昔はどうだったのかを年寄りの人たちに聞いてみた。

↑ 此の階段が特等席だ ↓
川原湯温泉の湯かけ祭は、毎年必ずやらなければならない祭だった。
楽しいというより村中一軒残らず参加しなければならないという半強制的な祭で、出なければ家にお湯をかける。
かけられても文句を言えない。
文句を言っても、言う方が悪い。
そういう人は村で相手にされなくなってしまう。そんな祭だった。

徹底的な厄払い
1月20日は川原湯にとって冬から春に変わる分岐点である。20日を境に日照時間は30分延びて日差しはどんどん強くなる。
年の始めの邪気のない若湯をかけ合うことで無病息災を願い、村から災いを徹底的に追い払うため道行く人にお湯をかけたり、出ない家にもお湯をか
温泉は地球という火に温められた五行の火気、もうもうと湧く湯煙も火の煙にたとえられそうだ。

火気の湯でもって金気のトリをやっつけ災いのないよい一年を引き寄せる祭。そのように解釈すると湯かけ祭が見えてくる。1月20日の20も意味がありそうな数字である。

年の初めの2,7,14、21、28には大きな祭や行事がある。火気を強めるための数、7の倍数。6日が小寒で7日が七草。14日がどんどん焼きで15日が小正月。
15才の元服。20日が大寒、20日正月で21日が初大師。28日は初不動。7がらみの数には呪術の薫りがする。

↑ 紅白の久寿玉をお湯を掛け合って割る ↓
なぜトリなのか
川原湯には鳥追い祭はない。一晩中太鼓を鳴らし、米を食い荒らすトリを追い払うという鳥追い祭と湯かけ祭は似ている。
鳥追い祭では、トリは村から追い払われる存在。湯かけ祭のニワトリはいつでも乱暴に扱われ、由来では生け贄であるし、かつては、竹の先にニワトリを逆さに吊し、新婿がぶらさげて逃げ回りお湯をかけたりもしたという。

本当に首を締めて奉納したこともあるらしい。トリ=厄を正月の始めに川原湯から徹底的に追い出す祭というわけだ。

湯の神はニワトリなのか
湯かけ祭の由来では、温泉が、ゆで卵の匂いなので湯の神様はニワトリではないかと思いニワトリを生け贄にして祈ったところ……温泉が再び湧きだしたということになっている。

湯の神のニワトリに湯の神のニワトリを生け贄にするというのはどこかへんである。湯かけ祭のニワトリの乱暴な扱いから考えても、やはり厄としてのニワトリと考えた方がいいのではないか。

「川原湯 湯の神 ニワトリまつり」と湯かけ音頭で唄われているが「川原湯の湯の神にニワトリをたてまつり」と解釈する方がいいと思う。

それでは川原湯温泉の本当の神様は何なのだという疑問がわいてくる。

蛇信仰
祭の舞台が王湯に常設されるまでは石垣のところから蛇が時々顔を出していた。蛇は、変温動物なので、冬でも暖かい温泉のわき出し口周辺は絶好のすみかなのだろう。

王湯の蛇は他のところの蛇と違っておとなしい。子供の頃は石垣を棒でつついて蛇を出して遊んだ。

蛇の背中には銭形があるのでマムシだといっていたが、アオダイショウの子だったのだろう。蛇を見つけるとすぐ殺してしまう子供達も、王湯の蛇は殺さなかった。屋敷蛇と同じように考えていたからなのかもしれない。

家の中にいる蛇は縁起が良いのでいじめたりしてはいけないものといわれていた。
温泉と蛇はつきもので、神様としてまつっている温泉地も多い。
川原湯にとっての1月20日は冬から春に変わる季節の節目である。

季節の変わり目に再生復活のシンボルとしての蛇にニワトリを奉納してまつる。その方が自然だ。
↑ 赤組も白組も久寿玉を割り鶏を手に舞台へ ↓
祭と裸
湯かけ祭は裸で湯をかけ合う祭である。裸は、冬眠し脱皮をする蛇の正に脱皮をした姿と重ね合わされる。
神道における禊ぎ祓いは、身を削ぎ、削いだ皮膜を払い捨てる事であるという。裸になることは、祭にとって重要な行為である。
蛇になぞらえて体についた厄を払い捨てて新たなみずみずしい体に再生するための裸である。

玉湯と笹湯
笹湯は今は王湯から300mくらい下にあるが、かつては王湯の露天風呂のところにあった。
王湯の露天風呂が出来る前は郵便局で、その地階の笹湯跡に床を張り卓球場が出来ていた。小学校の頃は帰ってくるとよくここで卓球をした。
湯かけ祭はここの笹湯と王湯でかけ合ったという。信州には大釜でお湯を沸かしその湯を笹の葉に浸して振りかける霜月祭・湯立て神事という祭があるという。
笹の葉で湯をかけるのを笹湯神事という。笹湯神事を行う場が笹湯だったとすれば湯かけ祭もそのような笹湯神事から変化した祭なのかもしれない。
ちなみに王湯は、玉湯が正式である。
タマユと書いてオオユと読ませる。なぜかテンがついている。
頼朝発見伝説があるので、将棋の王将と玉将のように、王=天皇に気を遣って玉になったのではないかと最初は考えた。
かつて頼朝の衣かけ石というのが王湯の隣にあったが道路拡張の時に埋められてしまった。
その石は大石ともよばれていて注連縄もかけられていたという。
古地図には丸い玉石として描かれているものもある。大石=玉石の湯が玉湯という名称になったのではないかと今は考えている。
玉石信仰は信仰の中でも古い方で、川原湯温泉のまつりの始まりはこの石を拝むことから始まったのかもしれない。

戦国時代の砦跡 川原湯城の発見
川原湯温泉は、約800年前、源頼朝が浅間狩りのときに発見したと伝えられている。湯かけ祭は400年前から続いているといわれている。いわれているだけで物証は何もない。
3年くらい前、山をカットしてダムの移転地を作る検討のため、金花山へ登った。そこは尾沼とよばれる場所で山の頂上なのに平になっていて妙に人工的な場所で大きな掘り切りがあり腰郭らしいものもあった。
城跡の様なので調査してもらったところ、戦国時代の山城跡と確認され川原湯城と名付けられた。
川原湯温泉は歴史的には戦国時代まで遡れることになる。戦国時代の吾妻は、上杉、武田、北条が互いに覇を争っていた。吾妻渓谷を挟んで斉藤、真田の大きな戦いもあった。
戦国時代、温泉は戦いのケガを癒すための重要な 場所であった。戦国時代は、全国的な人の移動があり、川原湯も真田領となり信州文化の流入があっただろう。
戦いには、陰陽道や呪術にたけた軍師がいて合戦の日や吉凶を占っていた。湯かけ祭はそのころの軍師によりつくられた祭かもしれない。

金鶏山、尾沼、金花山
川原湯を取り囲む山全体を金鶏山という。冬にはこの山から朝日が昇る。
金鶏は天上に住むニワトリで、最初に夜明けを知らせ、これに応じてニワトリが鳴くという架空の鳥である。尾沼は、金鶏山の尾のところにある山上の湧水で、かつては沼だったのだろう。川原湯城の水の手である。
本丸のある山を金花山という。明治時代の川原湯の地図にはトリデアト、コトヒラ、センゲンと記されている。金花山は金比良宮と浅間神社の木之花佐久夜姫をあわせた名称だろうか。
紅白のふんどし
湯かけ祭のふんどしは白だけだった。昭和初期に描れた湯かけ祭の絵葉書が湯かけの記録としては、一番古いものである。
絵葉書の子供は白いパンツをはき、大人も白いふんどしだ。戦後はじまった大晦日の国民的行事、紅白歌合戦にヒントを得て昭和20年代中頃より紅白のふんどしに分かれて湯かけ合戦をやるようになったという。
新暦大晦日の紅白歌合戦と、二十日正月の紅フン白フンの湯かけ合戦。どちらも勝ち負けにはたいした意味がない。
湯かけ音頭
湯かけ音頭は昭和24年に「作詞/豊田嘉雄 作曲/土屋千代栄」により作られた。
古い湯かけ祭のかたちをうまく唄い込んである詞である。湯かけ祭は何百年もこの唄のように続けられてきたのだろう。

独特の手締め
シャンシャンシャン ソレ オシャシャンのシャン 湯かけ祭の最後は必ずこの手締めで終わる。
年寄りの人に聞くと子供の頃からそういう手締めだったという。
「川原湯シャンシャン締め」と名付けて会合での締めに使っている。

暗いうちから「おゆわいだ おゆわいだ」と威勢よくお湯をかけ合っていると金鶏山の方から空が白んでくる。

祭は最高潮に達し、くす玉が割られニワトリが飛び出す。鳴きながら逃げ回るニワトリを追いかけ回し捕まえて御神前に奉納する。ふんどし一丁の無礼講でお湯をかけあった祭の終了である。

祭の終わりは今年一年の無病息災を祈念しシャンシャンシャンと桶をたたいて手締めるのだ。シャンシャンシャンとは、馬につけた鈴の鳴る音。ここに最後の呪力が潜んでいる。
湯かけ祭りの由来
川原湯温泉は建久三年(約800年前)源頼朝が浅間狩の時発見され入浴したと伝えられております。

毎年正月20日未明に行われる天下の奇祭(大寒に褌1つで温泉の湯をかけ合う)湯かけ祭りはいまから400年ほど前のこと、突然湯が止まり村人は困りはて、温泉の香りが「ゆで玉子」の匂いなので湯の神は鶏に縁があるものと思い「湯前様」の前に集まり鶏をいけにえにして祈願したところ、豊なお湯が再び噴出したので村人たちはうれしさのあまり思わず「お祝いだ、お祝いだ」と叫びながら湯をかけあって喜び合ったのが起源だと言い伝えられています。

また一説には、神秘な温泉を厳寒の早朝、たがいにかけあって心身を浄める「みそぎ」のようなものから発生したのではないかとも言われております。

昔、一度中止したところ、その年疫病が流行して村人の死亡者が続出したため「湯かけ祭り」を止めたからだと思い、その後ずっと続けられて今日に至っている奇祭です。

終戦前までは野趣に富んだもので、「湯かけ祭り」に出場しない家には片端から湯をかけたり、通行人・見物する人にも「お祝いだ!」と湯をかけたもので、かけられた人たちも寒さにふるえながら、これで厄落しになると喜んだものでありました。

現在では湯をかけることを禁じて多くの観光客の皆様に見ていただき、旅情を慰める様に改めて行われているのです。
↑ 石段の上で見ていた妻のコートも若干濡れた ↓
湯かけ祭りを見学する時のご注意
1月20日の早朝5時から始まるお祭りで、気温も氷点下になります。

近くで見学してますと、お湯をかけられます。かけられた時はあったかいのですが、濡れた服は段々凍ってきます。道路のお湯もシャーベット状になり、凍ります。防寒対策の上、さらに完全防水、カッパ等を着てください。

また、カメラなどにも温泉がかかりますので、ビニールなどで防水対策をしてください。水ではなく温泉なので、お湯がかかると壊れます。お気をつけください。
出典・湯かけ祭考 - BIGLOBE 川原湯温泉やまた旅館。














