ウェディング意味と使い方
ブライダルと似たイメージのある「ウェディング」は、どんな意味を持つ言葉なのでしょうか?

「ウェディング(wedding)」とは、英語で「結婚式、婚礼、結婚披露宴」といった意味を持つ名詞。結婚にともなう式典や儀式、結婚当日のイベントに関連する物事を指す言葉として、幅広く使われています。

 



↑ ギラベイサイドスイートアマランダ本館/  チャペルへの道 ↓


 

結婚式で着るウェディングドレスや、披露宴に登場するウェディングケーキなどが、分かりやすい例と言えるでしょう。

また、カップルが指にはめる結婚指輪。日本ではこの指輪を「マリッジリング」と呼びますが、じつはこの言葉、日本のみで使われている和製英語なのです。

ウェディング文化発祥の地である欧米では、結婚指輪は「ウェディングリング(wedding ring)」あるいは「ウェディングバンド(wedding band)」と呼ばれています。

 


 

「マリッジ(marriage)」の意味と使い方
では、「マリッジ」という言葉はどんな意味を持っているのでしょうか?

「マリッジ(marriage)」の語源は、フランス語の名詞「マリアージュ(mariage)」です。

マリアージュのもともとの意味は「複数のものが結ばれる、融合する」というもの。それが転じて英語になり、「結婚、婚姻、縁組み」といった意味で使われるようになりました。

意味としては、ウェディングとほぼ同じニュアンスで使われています。「マリッジブルー」「ジャスト・マリッジ(Just Married=結婚しました)」といった言葉が有名ですね。



 

3つの語源と使い分けについて・まとめ
「ブライダル」は、もともと「花嫁の〜」という意味の英語。結婚にまつわる言葉の中でも、とくに新婦と関連の深い事柄に多く使われます。

「ウェディング」は、「結婚式、婚礼、披露宴」を指す英語。挙式当日のセレモニーを中心に、結婚に関するさまざまな言葉に幅広く使われています。

「マリッジ」は、フランス語の「マリアージュ(結びつき、融合)」を語源とする英語。現在はウェディングとほぼ同じニュアンスで、結婚全般に関する言葉に使われています。

日本には和製英語も多く、3つの違いを意識する機会は少ないもの。ですが、結婚式に関わる仕事に就くのであれば、それぞれの語源や意味を正しく把握しておきたいところです

また、挙式を考えているカップルなら、ウェディングボードや招待状、ペーパーアイテムなどを作成する際、英文を正しく書くために役立つでしょう。

「ブライダル」「ウェディング」「マリッジ」の意味と使い方の微妙な違い、あなたもぜひ覚えてみてくださいね。



 

モンパノキ
紋羽の木は、ムラサキ科キダチルリソウ属の常緑低木〜小高木。別名、ハマムラサキノキ(浜紫の木)。

東アフリカからアジア、オセアニアの熱帯から亜熱帯の海岸に生育する。
熱帯から亜熱帯の海岸、砂礫地や砂浜に生える常緑低木~小高木。

樹高は10m程度に達する。幹は灰褐色で縦に裂け目が多く、材は柔らかい。径は太いもので30cm程度に達する。葉は倒卵形で大きく、枝先に集まり互生する。



 

大きさは10~20cm。多肉で、表裏ともに細かい毛が密生し、ビロード(紋羽)のような手触りがある。

花期は基本的に夏ではあるがはっきりせず、円錐形の集散花序を頂上または腋生する。花は密生し、5mm程の釣鐘型で白色。


 

果実は5mmほどの球形で、数珠または団子状に固まる。熟すと緑色から黄橙色を経て黒っぽく変化する。

日本における自生地
日本では、南西諸島の奄美群島以南および小笠原諸島に普通に自生する。種子島にもかつて自生していたが、野生の株は絶滅している。

 

海岸の砂礫地や砂浜を好み、ハマスーキ、ガンチョーギ、ソーギキ、スビキ、シサザキ等、島によって多様な地方名を持つ。

 

 

利用
葉は民間薬として、絞り汁を服用して食あたりに用いる。また、1884年、沖縄の糸満において、海人(うみんちゅ)の玉城保太郎氏の考案で、本種の材が柔らかく加工しやすい上、乾燥しても変形しにくい特性を利用して、丸く削った内部をくりぬいてガラスを接着し、アダンの葉で作った紐をつけて水中眼鏡(ミーカガン)の材料とした。また、潮害や塩害に強いことから、防風・防砂林として利用される。

 

 

↑ チャペルへの道 ↓

 

 

チャペル
キリスト教会としてのチャペル
福音派のマーティン・ロイドジョンズで有名なロンドンのウェストミンスター・チャペルは、ウェストミンスター教会と表記する場合もあるが、そのままチャペルと転写されることも多い。

 

 

↑ アラマンダチャペル ↓

 

 

このように日本語のチャペルも、教会に属する教会員を有しない礼拝堂を、必ずしも意味していない。日本でも幾つかのキリスト教会は、チャペルと呼ばれている。


 

一例として八巻正治が牧師として運営していた教会も『ラブリー・チャペル』であった。

非キリスト教会としてのチャペル
多くの場合、チャペルは自教会を離れて滞在する寄留者のための礼拝施設(=ハコモノ)であり、教会(=教会員制組織)ではない。
 

 

チャペル専属の教職者をチャプレンという。日本のチャペルは(宗教法人としての)教会ではない場合が多いので、プロテスタントのチャプレンは、その資格があっても職務は牧師ではない。



 

米軍基地のチャペルのような、複数の教派の聖職者が常駐するチャペルもある。また従軍聖職者が従軍先において洗礼の礼典を執行することもある。


 

↑ ステンドグラス ↓

 

 

ステンドグラス
エ字形の断面を持つ鉛のリム[要曖昧さ回避]を用いて着色ガラスの小片を結合し、絵や模様を表現したもの。



 

ガラスに金属酸化物を混入することで着色している。キリスト教の教会や西洋館の窓の装飾に多く用いられる。
 

外部からの透過光で見るため、人の目に非常に美しく映る。

 

装飾を否定するモダニズム建築全盛の時期になるとあまり用いられなくなったが、今日では再びステンドグラスが見直され、公共建築、住宅、教会堂などに採用されている。

ガラス工芸として、ランプの傘などにも用いられる。

 

古代
404年に再建されたイスタンブールの聖ソフィア寺院では着色されていない板ガラスを窓に用いていた。

一方、500年前後に完成した同地区の寺院にはステンドグラスの跡が残っている。当時のガラスはフェニキア人から伝わった吹きざお製法を発展させたローマンガラスである。

中世
破片の形で残る最も古いステンドグラスは、フランク王国のカール大帝の支配下にあったロルシュ修道院(ドイツのヘッセン州)で見つかっている。

修道院は764年創建だが、ステンドグラス自体は9世紀のものだと推定されている。ステンドグラスにはキリスト像が描かれていた。原型を留める最古のステンドグラスは、ドイツ南部バイエルン州に位置するアウクスブルク大聖堂に残る。

ダニエルをはじめとする5人の預言者を描いたステンドグラスは12世紀初頭の作品だと考えられている。

その後、ステンドグラスはフランスにおいて発展していく。12世紀頃になるとロマネスク美術に続いてゴシック美術が北フランスから興り、建築技術の向上が見られた。


 

飛梁の発明により天井は高く壁は薄くなり、大きな窓が可能になった。ゴシック様式を採用した教会堂の窓には彩色の施されたステンドグラスが使用されるようになり、教会堂は光のあふれる空間となった。

12世紀の代表的なステンドグラスは、パリの南西90kmに位置するシャルトル大聖堂のものである。西正面と南北の入り口上部にあるプレート・トリサリー形式のバラ窓など、176ものステンドグラスを誇る。


 

「美しきガラス窓の聖母」、「薔薇のステンドグラス」など多数、青と赤の色彩が特徴的である。着色に使われた金属酸化物が不純物を含んでいること、ガラスの表面が平面ではないことから、複雑で微妙な色彩をかもし出している。

イングランドでは、1220年から1472年にかけて建設されたヨーク大聖堂が最大級である。10万枚以上のガラス片を用いた200m2近いステンドグラスが残る。

ローマ帝国以後、ガラスの製造は沈滞していたが、ステンドグラスの興隆とともに、ガラス製造にも革新が起こった。1291年に海軍国家となって繁栄し始めたヴェネツィアがムラーノにガラス工場を集積。

 

ローマンガラスの質を高めた。今日でもヴェネツィアン・グラスとして知られている。ステンドグラスと並び、ガラス器の製造も盛んになっていった。


近代
中世回帰を目指すアーツ・アンド・クラフツ運動と、その後のアール・ヌーヴォーの装飾ではステンドグラスが好まれた。作家としてはクリストファー・ウォール(1849年-1924年)等が知られモリス商会の主力商品の一つはステンドグラスであった。

日本
日本では近代建築とともにステンドグラスの技法が伝えられた。素朴なものでは長崎市にある大浦天主堂(国宝)のステンドグラスがある。

海外で制作された作品を輸入して取り付けることもあったが、明治時代後半から日本人もステンドグラスの技法を身に付け、次第に自前で造るようになった。

日本の技術者にはドイツ系と米国系の2派があった。日本のステンドグラス制作の祖と言われる宇野沢辰雄(1867-1911年)は、東京職工学校在学中に官庁集中計画のためにドイツへ派遣される留学生の一人に選ばれ、陰影の深いヨーロッパ系ステンド・グラスのデザインを学び、帰国後宇野澤工房を開設して、日本最大規模とされる国会議事堂や大阪府立中之島図書館など多くのステンドグラスを手掛けた。


 

その弟子である木内真太郎(1880-1968年)も多くのステンドグラスを制作し、その資料を遺した。アメリカ系のステンド・グラス作家である小川三知は、東京美術学校日本画科を卒業後海外実業練習生として渡米し、ルイス・カムフォート・ティファニーが考案した乳白色ガラスに見られる米国の近代的ステンド・グラスを日本へ導入した。

慶應義塾大学図書館(東京)の大ステンドグラスは、和田英作の原画により、小川三知が制作したものだが、太平洋戦争の戦災で失われて、現在は原画をもとに復元されている。

大正時代以降は洋風住宅の普及とともに流行し、一般の住宅にも使われるようになった。羽渕紅洲は大阪カテドラル聖マリア大聖堂や乙女峠マリア聖堂など西日本に数多くの作品を遺している。

公共建築物では、名古屋市市政資料館(旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎、1922年)の中央階段室にステンドグラスがある。2015年には、日本初のステンドグラス専門の公立美術館として、掛川市ステンドグラス美術館が開館した。

パネルの強度を高める為に、鉛線の全面をハンダで覆い接合する日本で独自に生み出された全面パンダ技法を用いる事がある。