サンタンカ
アカネ科の低木。赤い花を多数纏めてつけ、非常に美しい。沖縄には古くに入り、沖縄と九州の一部では野生化している。
常緑性の低木。樹高は1-3mになり、全株無毛。節ごとに托葉があり、3角形か広3角形で先端は針状に尖って突き出し、長さ3-7mm。

葉は倒卵状楕円形で先端は尖らず、基部は次第に細くなって短い葉柄に続く。葉身の長さは5-13cm、幅は2-6cmで、葉柄の長さは1-4mm。

花は主に7-8月に咲くが、ほぼ通年に見ることが出来る。花序全体が紅色をしている。花序は茎の先端に出る集散花序で、多数をまとめてつける。

萼筒は長さ1mm、先端が4つに裂けており、その裂片は広卵形で先端が丸く、長さ1mmほど。

花筒は長さ2-3cm、幅1mmほど、外面は無毛、花筒の内側には軟らかな毛を密生するが外側の面は無毛。
花筒の先端は4つの裂片に裂け、それぞれの裂片は倒卵円形で先端は丸くて長さ5-7mm、幅4-6mm。

葯は細長くて葯は花筒から抜け出て伸び出す。花柱は細長くて長さ2.5-3.5cm、軟らかな毛がまばらにある。

液果は横長の球形で縦向きに走る溝があり、長さ4mm、幅5mm。熟すと紅紫色になる。種子は径3mm。

名の由来
名前はサンタンカは山丹花、別名をサンダンカ(三段花)といい、福岡(1997)はその由来は不明としている。三段花については佐竹他(1997)は当て字であろうとしている。

天野(1982)は、昔、南中国の奥東潮州の黄という婦人がおり、彼女が潮州の仙丹山を通る際に簪を落とし、それがこの花に化し、それ以降仙丹山にはこの花が多い、という伝説を紹介している。

現在では同属の多くの種が持ち込まれて流通しているため、園芸方面では学名仮名読みのイクソラがよく通じるという。

分布
中国南部からマレーシアにかけてを原産とする。現在では九州南部までに帰化した例がある。 沖縄や久米島では古くより逸出して野生状態でも見られる。

利用
花が美しいことから観賞用に栽培される。薬用とされたこともある。

日本本土には江戸の中期(正保年間:1644-1647とも)に琉球から江戸に入ったと見られ、三段花と呼ばれた。
坂上登の『琉球植物志』(1770、明和7年)に初めて出てくる他、※岩崎灌園の『本草図譜』に図が出ている。

園芸品種としては白花の 'Alba' や濃橙色のディクシアナ 'Dixiana' が有名である。

日光によく当てることが必要で、日射不足では軟弱になり、また花付きが悪くなる。低温への耐性もあり、5-8℃で越冬出来るが、開花には15℃以上を必要とする。

※岩崎灌園(いわさき かんえん、天明6年6月26日(1786年7月21日) - 天保13年1月29日(1842年3月10日))は江戸時代後期の本草学者。『本草図譜』(96巻)の著者である。

江戸下谷、現在の御徒町に生まれる。名は常正、通称源蔵。
父親は直参の徒士である。
本草学を小野蘭山に学び、若年から本草家として薬草採取を行う。文化6年(1809年)に徒士見習いとして出仕した。

文化11年(1814年)、灌園28歳の時、屋代弘賢編の『古今要覧稿』の編集、図版製作の手伝いを命じられる。文政3年(1820年)に小石川火除地の一部を貸与され薬種植場を設けた。著書に『本草図譜』『草木育種』『救荒本草通解』『日光山草木の図』などがある。
『本草図譜』は20歳代から準備をすすめ20年をかけて作成され、文政11年(1828年)に完成した。

これまでの本草書の図版が欠落していたり、精密さに欠けることに不満を感じた灌園が、自ら描いた2000種の図を集大成したもので、92冊からなり、李時珍の『本草綱目』にしたがって配列された。
5巻から10巻は木版印刷して出版された(1~4巻は『本草項目』が植物以外の薬の項目であるため5巻から始まる)。
その他は模写によって配布された。描かれた植物は自ら写生したもののほか、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴァインマンの『花譜』からの転載も含まれた。


