ニューハーフの語源
有力な説として、1980年に大阪のショーパブ「ベティのマヨネーズ」のママであるベティとサザンオールスターズの桑田佳祐との対談時に、ベティが「男と女のハーフよ」と言ったのを聞いて桑田が「じゃあニューハーフだね」と言ったのが始まりというものがある(ベティ本人が「週刊えみぃSHOW」など地元関西ローカルの番組で度々公言している)。

しかし、桑田本人は自分が"ニューハーフという総称を作った"という話に関して繰り返し否定している。

朝日新聞2010年9月16日号によれば、1981年ベティのレコーディングをきっかけに桑田とベティが出会った際、桑田に「ねえ、ベティはどこの国のハーフなの?」と聞かれたベティが「ばかねえ、男と女のハーフじゃないの」と言い返し、スタジオが笑いに包まれた。

そしてベティを「ニューハーフ」として売り出すことが決まったという。

ニューハーフの歴史
1981年ごろに松原留美子を指す言葉として広く知られるようになった。

松原留美子は「六本木美人」という宣伝キャンペーンのモデルを務め、その美貌が大いに話題になった後、実は男性であると公表して大反響を呼んだ。

松原は「もし“六本木美女”だったらモデルに応募できないが、“美人”なら男である自分でも大丈夫だと考えた」と語っている。

なお松原は、少なくとも当時は一切身体には手を入れていなかったと言われ、「ニューハーフ=身体は完全に男性」という認識があったと見る向きもある。

アメリカでは同様の傾向の人たちを表す言葉としてシスターボーイ(Syster-boy)やシーメール(She-male)が使用されてきた。

最近ではトラニー(Tranny)という言葉も使われる。どちらの言葉も中傷的であるため、それらの使用はお勧めできません。

架空のニューハーフ
一般の認知度と比例するようにニューハーフが架空の作中に登場することが増えている。

もっとも、作中に登場するニューハーフの多くは面白さや好奇心を刺激する存在で、女性にしか見えないか、明らかに男性然としているかの両極端である。作品を売るために、ありのままのニューハーフを扱う作品は多くない。

海外でのニューハーフの実情
宗教の問題やモラルの問題で同性愛・異性装飾をタブー視している国も多い。

文化圏によっては命の危険すらある。おおっぴらにニューハーフを見られるのは個人の自由を認める国に多い。

例外的に、母系社会のタイや、太平洋諸島の一部など男子の一部を女性として育てる習慣がある文化圏では多くのニューハーフを見ることができる。
女装
それぞれの文化によって「女性用」と規定されている衣服・装飾品を男性が身につけ、これによって外見の衣装上は女性の姿になることを云う。

性同一性障害で女性の心を持つ生物学的男性が女性の服装を着ることは女装ではない。

女装は男性の異性装の一種であり、男性が女性に固有とされる衣類やアクセサリを纏うことである。

それ以外に、仕草や行動様式、言葉遣いなどの点でも異性に固有とされる様式に準拠するものも異性装の一部と見なせる。

女装は、男性と女性の間で生物的・文化的な意味で明瞭が差異が存在することが前提となる。

衣装・アクセサリなどは生物的な性に根ざして、そこから派生したものであり、異性特有とされてきたそれらを纏うことで、異性装の欲求を満足させる。

生物的な基本原型としては、人間は、男性と女性の2つの性が基本となっている。また社会的・文化的な性においても、男性性と女性性の2つが基本である。

しかし実際に歴史的、社会的に男装と女装は、社会や個々人の評価や価値観においても対等ではない。

多くの文化・社会にあって、女性の男装は、男性の女装に較べ、偏見が少ないとされ、また男装への女性の関わりと、女装への男性の関わりを見ると、後者の方が文化的に複雑であり、女装者自身の心理においても複雑な様相を持つ。

数的に見れば、1993年のアメリカでの大規模な調査では、男性の6%が女装の経験があり、女性の3%が男装の経験があると答えている。

この調査からは、女装者が男装者の二倍存在することが分かると共に、異性装経験者が平均すると、男女で20人に1人存在すると云うことも分かる。
歴史
女装は、世界的に見た歴史時代の記録からは、いずれの文化や社会においても存在した。なぜ女装するのかの理由は様々であっても、女装が存在したことは事実である。

例えば、古代ギリシアにおいては、英雄・アキレウスはトロイア戦争に参加すれば必ず戦死するとの予言があった為、アキレウスが戦争に加わるのを防ぐため、彼を女装させて娘たちのなかに置き、隠蔽しようとしたとする挿話がギリシア神話で伝えられている。

また古代ローマでも、『サテュリコン』などが伝える性風俗として、少年が女装して売春を行っていたことなどが記されている。

オリエントには宦官※制度が存在し、男性の衣装とは異なる特別な服装で、女装に近い姿であった。
中国にもまた歴史のほぼ全時期を通じて宦官が存在し、女装に近い独特な衣装であった。

※宦官(かんがん)とは
去勢を施された官吏である。古代から各文化圏に存在した。
東アジア(日本以外)の宦官
古代中国に始まり、朝鮮やベトナム等、おもに中国の勢力圏の東アジアに広まった。但し、日本は宦官文化に関しては東アジアの中では独特であるので下記のように別項を立てる。
仕事
本来の業務は、男子禁制の後宮の管理運営業務である。しかし後宮とは紫禁城の居住区である内城の全域であったので、紫禁城内に居住が許される「男性」は皇帝・皇子以外すべて宦官であり、その他の者は大臣宰相でも城外からの通勤であった。
そして宦官の業務は下記のほか、宮廷の運営にかかわる一切であった。
宮廷内の建物や什器の管理、清掃などの雑用(これが大部分であった。)
料理・宴会の担当。
中華料理の進歩には宮廷料理、そして宦官のはたした役割は大きい。金のかかる部署であり、資金力のある大物宦官が担当した。

後宮の警備・管理。
皇帝と皇后、側室の性交の日時の記録(皇位継承順位に関係するため、重大事であり、専門の部課が置かれた)。

諜報、情報収集。
不穏な勢力のスパイといった秘密警察業務。
皇帝の秘書業務。
臣下との取次・連絡。
皇子の学問や行儀作法教育。

国家事業
つまり皇帝が行う土木建築工事の管理。
巨額の予算が動くため、私腹を肥やせる人気部署だった。

兵器の製造。
特に大砲など火器は皇帝直属で一般部隊は扱えず、戦時は宦官が砲兵部隊を率いた。
中国では、古代より女装した若い男性や青少年の売春が盛んで、纏足が女性の一般な風俗であった清朝の時代にあっても、巧妙な偽装によって纏足しているかのような外見を作り、女装する男性が多数に昇ったことが記録に残っている。

日本
日本では去勢者がいなかったわけではないが、制度として確立した「宦官制度」は記録に残る限りでは存在しなかったとされる。
弥生時代から古墳時代にかけて一時的に宦官制度が存在し、古墳時代末期に廃止された可能性も指摘されているが、現在のところ確かな証拠はなく、仮説の域を出ていない。
中世には刑罰や宗教的動機で去勢された例は多いものの、制度としての宦官制度というものはまったく見られない。

江戸時代の古川柳に「奥家老らせつしたのを鼻にかけ」というものがある。
また「案山子かな女中預かるらせつ人」という古川柳も残っている。
「らせつ」とは漢字で「羅切」と書き、「陰茎切断」の俗語であることから、大奥詰めの役人が女官たちを取り仕切る宦官に近い存在になりえたことはわかる。
ただし、これは個人的な忠義を例えた文学上の表現であって、制度としての宦官制度ではなく、去勢を行った事実もない。

































