40万本

 

「40万本の花咲かせるチューリップ畑が、地域の水田を保全する ~チューリップまつりを核とした地域一体の取り組み(羽村市)」

 


市内小学校の水田体験学習など、地域の一体的な取り組みの場となっている、根搦み前水田。


根搦み前水田は、一部に市所有の田んぼもあるものの、9割ほどが民有地。


それぞれが生産緑地の指定を受けているが、ここの水田地帯も含めて市域のほとんどは市街化区域であるため、相続が発生するたびに市に対して買ってほしいと申し出があるという。


市でも、財政をにらみながら、極力購入しているというが、すべてを買い切るだけの財力はない。


平成14年の水田面積62,853m2に対して、平成24年は59,090m2(固定資産概要調書調べ)となっており、顕著な減少はないものの、一部には住宅が建ってきているのも実情だ。




木彫りの熊
クマを象った木製の立体造形物・平面レリーフ・民芸品とがある。主に北海道で製造され、オホーツク文化・アイヌ文化におけるクマ形意匠として、また、北海道の土産として日本全国的に知られている。

 

イクパスイやサパンぺの熊形意匠。北海道土産の木彫り熊では木彫熊とも呼ばれ、かつては熊彫とも呼ばれた。


代表的な土産熊のデザインは、四つんばいになったヒグマが鮭をくわえているものであるが、現在では様々なデザインが存在している。熊の硬くて太い剛毛を表現する為、表面は主に手斧づくり風に彫刻加工されているのも、共通の特徴である。


由来
現在、木彫りの熊は「アイヌの伝統工芸品」とのイメージが強い。だが、伝統的なアイヌ文化においては「リアルに象られた物は、魂を持って悪さをする」との考えがあり、アイヌは動植物、あるいは人物の姿をリアルな形で木彫としたり、絵画として描いたり、織物に織り込むことはしなかった。

ましてカムイとされるヒグマをリアルな姿で木に彫り込むのはあり得ないことだった。しかし、続縄文時代・擦文時代の北海道での遺跡からは熊形衣装の遺物が出土されている。また、アイヌ文化には古くから熊祭の儀礼用に熊デザインの道具が使用されている。


現在の熊の木彫りは、お土産として尾張徳川家の当主であった徳川義親が、1921年(大正10年)から1922年(大正11年)にかけての欧州旅行の際に立ち寄ったスイスのベルンで熊の木彫りを購入したことが契機である。

翌1923年(大正12年)に、北海道二海郡八雲町にある旧尾張藩士たちが入植した農場「徳川農場」に送り、農場で働く農民たちや付近のアイヌに、冬期の収入源として熊の木彫りを生産するよう勧めた。

その結果、1924年(大正13年)に開催された第1回八雲農村美術工芸品評会に北海道で最初に作られた熊の木彫りが出品された。



1927年(昭和2年)には展覧会で入賞して秩父宮雍仁親王に献上され、1928年(昭和3年)には八雲の開墾50周年を記念して熊彫展覧会が開かれる等、八雲の木彫り熊は次第に世に知られるようになり、昭和初期には年間5,000体が生産されたという。

しかし、八雲町での木彫り熊の生産は次第に衰退し、2012年現在で生産者は一人のみになっている。八雲町には、2012年4月25日に八雲町郷土資料館内に八雲木彫り熊展示室が開設されており、2014年4月1日にはリニューアルされて八雲町木彫り熊資料館としてプレオープンしている。

この資料館には、徳川義親がスイスから持ち帰った木彫り熊や、北海道第1号の木彫り熊をはじめとする多数の木彫り熊が展示されている。また、資料館が位置する八雲町公民館の敷地内には木彫熊北海道発祥記念碑が建立されている。

一方、旭川市では、1926年(昭和元年)にアイヌの松井梅太郎が木彫り熊を作ったことをきっかけに、木彫り熊の生産が盛んになった。


当時旭川には第七師団があり、本州から来た軍人家族などへの土産ものとして人気となったという。

旭川の木彫り熊は、八雲の影響を受けているという説と、独自のものであるという説がある。

1936年(昭和11年)に昭和天皇が北海道を行幸した際には、八雲と旭川からそれぞれ木彫り熊が献上された。

一時は隆盛を誇った「木彫りの熊」であるが、現在では土産物の主役の座を譲り[1]、職人の数も減り続けている。

一方で、21世紀に入ってからは北海道教育大学の阿部吉伸准教授をはじめ、伝統的な美術工芸品として見直しアカデミックにルーツを探ろうとする動きが現れている。また、コレクターも登場している。

 


菜の花
アブラナ科アブラナ属の花の総称[1]。特にアブラナまたはセイヨウアブラナの別名としても用いられる。


また、菜花(なばな)は、ナタネ、カブ、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、カラシナ、ザーサイなどアブラナ科アブラナ属で主として花を食するものをいう。


なお、アブラナ属以外のアブラナ科の植物には白や紫の花を咲かせるものがあるが、これを指して「白い菜の花」「ダイコンの菜の花」ということもある。


食用
アブラナは菜種油の原料となる。

また、菜の花の菜とは食用の意味であり、菜の花とは食用の花の意味である。食用の菜花には、葉が柔らかく花茎と蕾と葉を利用する在来種と、葉が厚く主に花茎と葉を利用する西洋種がある。コウタイサイなど中国野菜由来の新品種も登場している。


野菜としては足が早いほうなので、保存する場合は加熱してから冷蔵する事がある。ビタミンCやミネラルが豊富な緑黄色野菜であり、アク(シュウ酸)はホウレンソウの20分の1以下なので、調理にあたっては茹ですぎないことがポイントとされる。


鑑賞用
菜の花畑(チンゲンサイ)
春、一面に広がる菜の花畑は壮観で、代表的な春の風物詩でもある。主産地の広大な菜の花畑は観光資源となっている。


切り花用として利用されるものは、チリメンハクサイや改良品種で、葉が白っぽく縮れている。ただしこれは食用にも利用されるため、栽培時期や方法の違いによって出荷先が変わるだけともいえる。



修景用
セイヨウカラシナは、丈夫で川原や荒れた土地にも繁茂するため、河川敷や堤防、空き地に播種し、菜の花畑を作るケースがある。

栽培
2012年の菜花の収穫量は日本全国で約5,222tで、主産地は千葉県が1,958t、徳島県が1,248t、香川県が725tであった。


2~3月だけ出回る旬を残す野菜だったが、予冷技術により出荷時期が延びてきている。また、寒咲花菜のように初冬から出荷されるものもある。

現代の日本では、菜種油採取用のアブラナ畑はあまり見られなくなったが、その他のアブラナ属の野菜も黄色い「菜の花」を咲かせるため、その種子採取用の畑が菜の花畑として親しまれている。

千葉県では早春のアブラナのほかに野菜類(カブやハクサイ)が、青森県横浜町では油用のセイヨウアブラナ、信州の菜の花畑はノザワナがそれぞれ5月に開花する。飯山市では連休中に見ごろとなるよう、ノザワナの播種日を調整している。


文化
菜の花は身近な春の光景として親しまれてきたため、文学や言葉に登場することも多い。 文学作品などに登場する菜の花は、明治以降は栽培が拡大したセイヨウアブラナが主体と見られる。

菜種梅雨
春雨前線が停滞する頃の雨の多い時期、ないしその雨を指す言葉。気象庁がその時期を明確に定めているわけではないが、主に3月半ばから4月前半にかけてのぐずついた天気を言う。

この時期には、関東南部から九州にかけてアブラナが開花している事から名付けられた。ただし、いわゆる6月下旬から7月中旬の梅雨で起こるような激しい豪雨になる事は比較的少ない。

菜種月
春先によくみられる、かすみの掛かった月、おぼろ月