千本鳥居

沢山の鳥居が続く参道のことである。

 

 

約7000坪の広大な敷地を持つ根津神社境内には、2つの稲荷神社が存在します。



そのひとつが、乙女稲荷。稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのかみ)は、古くから女神と考えられている神様。

 

 

稲荷塗りと呼ばれる朱で塗られた鳥居が並んでおり、鮮烈な光景を見せてくれる。


鳥居はすべて崇拝者による寄進で設置され、すでに江戸時代からこの風景が形作られてきたという。



世代交代をしながらその本数を増やしている。またその数の多さと、茂る樹木で日光が入りにくいところへ、より一層の暗さを与えており、鳥居の朱と参道の闇が、なんとも形容しがたい雰囲気を醸し出している。

 

↑ 保育園児たちがお散歩で ↓

 


鳥居
神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。


鳥居を立てる風習は、神社の建物がつくられるようになる前から存在した。

 



 

↑ 行合う人との譲り合い 外国人が奉納した鳥居も ↓

 

 


古来日本では、屋根のない門という意味で「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」ともいった。


中国の「華表」の訳を鳥居とするので、過去には漢文で「華表」と記したこともあったという。


鳥居は一般的には神社を象徴するものとして捉えられているが、仏教寺院にも見られることがある。


 

↑ 根津神社唐門西口からの乙女稲荷社入口参道 ↓

 

 

 

徳川家宣胞衣塚
六代将軍家宣(いえのぶ)の胞衣(えな)を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてある。
 


この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文二年(1662)四月五日ここで生まれた。
 

 

胞衣とは、胎児(母体の中の子)を包んだ膜と胎盤をいう。われわれの祖先が、胞衣を大切に扱ったことは、各地の民間伝承にある。

 

例えば、熊野では大石の下に納めたと伝えられる。関東では、家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ、また屋敷の方角をみて埋めるという所もあった。

 

 


一方で鳥居を持たず楼門(随神門)をもつ神社も存在する。戦後の区画整理により境内が縮小されたり移転したため、現在の神社境内とはかけはなれた場所に孤立している鳥居もしばしば見かけられる。御陵に建てられていることもある。

 

図案(意匠)としては神職であった氏族や家(いえ)が家紋として用いることがあるほか、現在の地図記号では神社を意味する。


俗信においては、鳥居の上に石を投げて乗せると願いが叶うといわれることがある。

数え方は、「1基、2基」と数える。一般にひとつの参道に複数の鳥居がある場合は、一番外側から「一の鳥居、二の鳥居…」と呼ぶ。

また、神社の前に形成された町のことを「鳥居前町(とりいまえまち)」と呼ぶことがある。


稲荷神社などの鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたためで、これが鳥居にも影響しているとされる。