ダイエー大島店
2021年2月28日午後6時閉店-建替え・再出店めざす。



株式会社ダイエー
創業から過去日本一の流通グループへ。1957年(昭和32年)に兵庫県神戸市で創業。

20世紀の日本の流通・小売業界を発展させた代表的な企業としても知られ、ショッピングセンターやゼネラルマーチャンダイズストアを日本で初めて導入した。

創業者中内㓛の生まれ育った阪神地区を中心に商圏を築き、1960年代後半から1970年代にかけて大きく発展し、全国展開を進めた。

 

 

↑ 建て替え閉店告知 ↓

 


1980年代には、全国各地の地場スーパーマーケットと提携して傘下に納める形でグループを形成していった。

小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。

価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、「ダイエー」のほかに「トポス」「ビッグ・エー」「Dマート」「グルメシティ」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化した。

 

↑ 生鮮食品売り場 ↓

 

 


多様化する消費者ニーズに応えながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く (GOOD QUALITY BEST PRICE)」「お客様のために (For the Customers)」の方針で事業が進められてきた(一時はグループ企業が300社あり、大阪国際女子マラソンなどでグループ各社の一覧が流れる企業CMも存在した)。

小売業以外にもホテル、大学、プロ野球、出版、金融など事業分野の多角化に乗り出し、特に、創業者の故郷である神戸市内と所属球団福岡ダイエーホークスの本拠地に定めた福岡市内で、グループ子会社とともに事業を数多く手がけた。

 

↑ 紳士物衣料品売り場 ↓

 

 

没落〜イオングループ傘下へ 
だが、失われた20年が始まる1990年代後半から業績悪化が表面化。しかし基本的にダイエーは不採算店舗を閉店させない方針をとっており、1995年の阪神淡路大震災による創業以来初の赤字決算の際に緊急措置として店舗の閉店をとったことはあったが、それ以外では原則は店舗を閉店させることはなかった。


 

しかし1997年2月にも再度の赤字決算となり収益改善が急務となる。その結果これまでの方針を転換し、1998年より同社初の店舗の大量閉鎖に踏み切る。

 

 

↑ ゲームセンター ↓

 


閉店後は店舗を解体し、新たな店舗の出店を目指す。新店舗の概要については、2020年10月現在は決まっていないという。

 

↑ ダイソー ダイエー大島店 ↓

 


ダイソー ダイエー大島店
創業
当初はスーパーマーケットの駐車場に店舗を構える、移動販売・露店方式の100円ショップを運営していた。

 

 

↑ ダイソーの商品撤去が進む棚 ↓

 


1980年頃の100円ショップは、問屋からすべての商品を70円以下で仕入れて100円で売る状態であったことから商品の質にも限界があった。

当時、ある主婦客の一人が「安物買いの銭失い」とつぶやくのを創業者である矢野博丈が目にし、それ以来仕入れのスタイルを変えた。


時には98円で仕入れた商品を100円で売ることもあるなど、売価100円の範囲で可能な限り質にこだわった商品構成に変更した。

これにより「矢野の100円ショップは商品がいい」と評判を呼び、全国から引き合いが増えるようになった。

スーパーマーケットのオーナーからテナントでの出店を誘われたことが、現在のダイソーのルーツとなる。

100円商品は安価で品質は劣るという先入観を払拭するため、仕入れ原価が100円に近いものや原価割れしている商品も100円として販売する手法を取った。

また、テナント形式の店舗により、顧客はいつでも来店して買い物することができ、商品に問題があった場合は店舗にクレームを申し入れられるようになったため、移動販売に比べて格段の信頼を得ることにもつながった。

それらの理由により、屋内の店舗形式による100円ショップを展開していく大きな原動力となった。

1991年3月、同社初めての直営100円均一ショップを、香川県高松市の丸亀町商店街内に開店する。

社名
創業当時、「会社の規模はまだまだ小さいけど、名前だけは大きな物にしよう」という意気込みから、「大きく創る」を「大創」としたのが社名の由来である。

 

 

 

↑ 一階食品売り場へ ↓