箱根巡りシリーズ神社仏閣(写真は全て4月6日撮影) 
 
 
↑ 正眼寺から早雲寺へ ↓
 
 
 
早雲寺
神奈川県足柄下郡箱根町湯本にある臨済宗大徳寺派の寺院。
 
山号は金湯山。本尊は釈迦如来。寺内には後北条氏5代の墓、連歌師・宗祇の碑がある。
 
国の重要文化財の織物張文台及硯箱、北条早雲肖像画、県指定文化財の北条氏綱・氏康らの肖像画がある。
 
 
 
早雲寺門前がヒメハルゼミの生息地

ヒメハルゼミはヒグラシに似た小型のセミで、関東以西の暖地に分布する。
 
平地の照葉樹林に発生し、6~7月頃、多数の個体が合唱する習性がある。
 
新潟県能生、茨城県片庭および千葉県鶴枝の3つの生息地が天然記念物に指定されている。片庭は関東地方の分布の北限である。
 
 
 
 
 
 
 
歴史
大永元年(1521年)、北条早雲(伊勢盛時)の遺言でその子北条氏綱が京都大徳寺第83世以天宗清を招き創建されたと伝えられている。
 
だが、大徳寺側の記録では大永元年当時の以天宗清は同寺にいたとされているため、創建年次に関する2つの異説が唱えられている。
 
岩崎宗純は宗清が韮山の香山寺にいた永正年間にまだ健在であった早雲の依頼で湯本に「早雲庵」と呼ぶべき前身寺院を建立したのが事実上の創建で、早雲の死後に菩提寺に改めたとする説を唱えている。
 
これに対して黒田基樹は早雲寺の創建が大永元年とする寺伝そのものが江戸時代以前に存在しない(つまり江戸時代の創作である)とする立場から、
 
早雲寺に湯本の門前町が寄進された年代不明の氏綱発給文書がその花押形が享禄4年(1531年)以降のものであることを指摘して、
 
早雲寺の創建を門前町の寄進の前後である享禄・天文年間であったとする説を唱えている。
 
天正18年(1590年)、小田原征伐において一時的に豊臣秀吉軍の本営が置かれるが、石垣山城が完成すると当寺を含む一帯は焼き払われた。
 
北条氏の庇護を失って荒廃したが、焼失後の寛永4年(1627年)、僧・菊径宗存により再建。慶安元年(1648年)、3代将軍徳川家光から朱印状を与えられ復興した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

猿害
野生の猿、特にニホンザルが人里に下りて人間生活に害をなすこと。主に畑を荒らすことを指し、器物損壊や人に危害を及ぼすことなども含む。
 
サルは地域によっては保護されている場合もあり、他方で、頭数が増えすぎると害獣として駆除対象とされる場合もある。
 
なお、大阪府箕面市に棲息する野猿は「箕面の猿」として保護されているが、観光客の安易な餌付けなどによって個体数が激増しており、2009年に猿への餌やりを原則的に全面禁止する条例が公布されている。
 
サルは群れで行動します。10頭ほどのグループもあれば、200頭からなる群れもあります。
大きな群れがある地域では、被害が拡大します。群れを仕切っているのは、実はオスではなくメスです。
 
オスは他所から入ってきたサルが多いのですが、メスの多くは生まれた地域で暮らします。
そのため、縄張り内の食料の在り処を知っているのはメスです。その場所は母ザルから子ザルへと受け継がれます。
 
人間のように手足を使うサルは運動能力が高く、他の動物には有効な柵などは簡単に乗り越えてしまいます。
 
知能も高いので、危険を回避する方法を見つけるのに優れており、柵に電気を流していても近くの木や建物に上って柵を飛び越えて侵入します。
 
一度侵入方法を覚えると、群れの仲間も真似するようになります。ただし、学習能力が高いことから、過去に痛い目に遭った場所には近づかなくなることもあります。
 
それでもやはり知能の高さは厄介で、人間に見せかけた案山子(かかし)の類は危険の有無を瞬時に見破り、何食わぬ顔で近づいてきます。
 
サルは植物を中心とする雑食性で、山に生えている木の実などを食べています。
苦味に強く、ドングリや渋柿も平気で食べますが、苦味のない農作物は大好物です。
 
一方で、生で食べるとチクチクするサトイモやコンニャクは食べません。タカノツメやピーマンも苦手です。シソといったハーブ類も避けることがわかっています。