箱根巡りシリーズ神社仏閣(写真は全て4月6日撮影)
正眼寺
歌舞伎で有名な曽我兄弟が父親の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を討つ際に祈願したとされる正眼寺。
曽我兄弟で有名なお寺のため、仇討ちのために毎日槍を突き、腕を鍛えたとされる「曽我兄弟の槍突石」があります。
曽我兄弟が供養されている「曽我堂」には、曽我兄弟の地蔵像が2体あり、県指定重要文化財に登録されています。
一般公開されるのは春と秋です。
境内掲示による正眼寺の縁起
正眼寺は、鎌倉時代箱根山に広まっていた地蔵信仰の中で生まれた寺です。
創建年代は定かではありませんが、この寺の前身である湯本地蔵堂の別当寺として鎌倉前期には存在し、その頃は勝源寺と呼ばれていました。
戦国時代には一時衰微しましたが、江戸時代になりますと、江戸屈指の材木問屋冬木屋の援助により諸堂を再建され、また、小田原城主大久保氏より境内地・地蔵田が安堵され、復興されました。
再興開基には早雲寺一七世菊径宗存を招請し、この時より当寺は臨済宗大徳寺派に属す禅寺となり、今日に至っています。(境内掲示より)
境内掲示による曽我堂の縁起
建久四年(一、一九三)五月二八日富士裾野で父の仇工藤祐経を討ち本懐を遂げた曽我五郎十郎の菩提供養のため、兄弟の親類縁者によって兄弟が仇討成就を願って祈念参籠したといわれ、湯本地蔵堂の近くに曽我堂が建立されました。
その創建年代は明らかでありませんが江戸時代初期に修復された記録がありますので、それ以前に遡ることは確かです。
江戸時代東海道箱根八里の沿道にあったこの堂の地蔵菩薩像は曽我歌舞伎の流行とともに曽我兄弟の化粧地蔵と呼ばれ、街道を行く旅人の信仰をあつめました。
明治元年(一、八六八)曽我堂は戦火にあい焼失しましたが、幸いにも両像は戦火を脱れました。大正三年(一、九一四)曽我堂は松竹歌舞伎の関係者によって再建され、昭和六十一年には台床光背を失っていた両像の修理が実施され元の御姿を拝することができるようになりました。(境内掲示より)
カラー
湿地性で大型になり白花を咲かせるオランダカイウと、畑地性で小~中型のその他の品種に分かれ、通常ガーデン用に販売されているものは畑地性のものです。
湿地性で大型になり白花を咲かせるオランダカイウと、畑地性で小~中型のその他の品種に分かれ、通常ガーデン用に販売されているものは畑地性のものです。
伸びた花茎の先に白やピンク、黄色などに色づく仏炎苞をつけます。本当の花は棒状の部分です。
すっきりした花は切花やブーケにもよく使われています。葉は品種によって幅広のものと細めのものがあり、表面は水をはじきます。
葉に斑点のような白斑が入るものがあります。
櫻木卯兵衛翁の碑
此の人物については不明。
旅籠きんとうえん
自家源泉による良質で湯量豊富な源泉を贅沢に使用、大浴場・露天風呂ともに「かけ流し式」を採用。
























