クリスマス・イヴは、クリスマスの前夜、すなわち12月24日の夜を指す英語の音訳である。「イヴ」(eve)」は「evening(夜、晩)」と同義の古語「even」の語末音が消失したものである。

転じて、俗に12月24日全体を指すこともある。日常会話では単に「イヴ」と呼ばれることが多い。

Christmas treeは、クリスマスのために飾り付けられた木である。「知恵の樹」の象徴とされる。

クリスマスツリーの用材には、常緑の針葉樹のおもに幼木が用いられる。
アメリカでは、年間数千万本もの生木のツリーが流通しており、最も生産本数が多いオレゴン州だけでも700万本を超える。

これら商業目的で生産されるツリーのほとんどは、規模が大きいため森林ではなく農地で生産されている(アメリカのツリー生産の統計は、農業センサスで集計されている)。

この点で環境破壊と指摘されることは少ないが、クリスマス後に一度に大量に発生するツリーのゴミの方が環境問題視されることがある。

このためニューヨーク州を始めとした都市部や住宅地では、2000年代以降、リユース(鉢植えで使用後に農場へ戻す)やマテリアルリサイクルを行う取り組みが見られる。

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↑ 我が家では毎年「IKEA(イケヤ)」で生樅の木を購入 ↓

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クリスマス・キャロルの『もみの木』からもうかがわれるとおり、ヨーロッパでは、伝統的にヨーロッパモミが使われてきた。現代では、入手が容易であることから広く使われるようになったドイツトウヒや、コーカサスモミ(英語版)、ノーブルモミ(英語版)なども用いられる。

北米では、バルサムモミ(英語版)、フラセリーモミ(英語版)、グランディスモミ(英語版)、ヨーロッパアカマツ、カナダトウヒ(英語版)、コロラドトウヒ、アメリカトガサワラなどを用いることが多い。

日本では、モミが主に使用され、他にトドマツや、オウシュウトウヒと同属のエゾマツなども使われる(トドマツやエゾマツは特に産地である北海道で使われる)。

常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため、強い生命力の象徴とされたためである。

また、『クリスマスの起源』(O.クルマン著)によれば、中世の聖夜の降誕祭の序幕において行われた、アダムとエヴァの堕罪の舞台劇で使われる「知恵の樹(善悪の知識の樹)」として、冬に葉が落ちてしまうリンゴの木の代用に、常緑樹のモミの木が禁断の木の実を飾るために使用されたのが由来ともされる。

プラスチック製のクリスマスツリーも存在しており、常緑樹に似せられた緑色のもの(グリーンツリー)が一般的である。また、ホワイトクリスマスを連想させる白いプラスチックで作られたもの(ホワイトツリー)もある。選ぶ手間を省くため、オーナメントもツリーとセットにして一緒に販売されていることが多い。

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↑ 孫娘が装飾を一手に引き受けている ↓

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歴史
クリスマスツリーはキリストとはおよそ無関係である。
原型は北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭で使われていた樫の木である。

冬でも葉を枯らさずにいる樫は生命の象徴とされていた。
このドイツの民をキリスト教に改宗させる試みがなされたが、樹木信仰が根強かったので、樫を樅(モミ)に変えることでキリスト教化した。

樅の木は横から見ると三角形で「三位一体」を表していると教えた。父なる神が頂点で、子と精霊が底辺の両端に位置する。

そして、1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾った。

この記録が、クリスマスツリーをクリスマスに飾る行為の最初とされている。1600年代には、ドイツ各地で記録が残されている。ベルリンには1800年頃にツリーが伝わっている。

イギリスへは1840年、ヴィクトリア女王を通じて伝わった。夫のアルバートがドイツ出身であったため、彼のためにクリスマス・ツリーに飾って見せたところから。1860年代に一般にも広まるようになった。

アメリカ合衆国で最初のツリーは、ドイツ移民によって1746年に飾られた。アメリカで導入された当時は、アメリカ建国当初からいたイギリス系清教徒のアメリカ人から、「クリスマスツリーは異教の文化だ」と断じられて、反発されたこともあった。
現在では、キリスト教徒が少ない日本のような国でも、この風習は根付いている。

ロシアのヨールカは、日本の門松と同じく新年を祝うものだが、クリスマスの時期から飾られ、クリスマスツリーと何ら変わるところはない。

日本では1860年、プロイセン王国の使節オイレンブルクが公館に初めて飾った。
1874年には原胤昭(はら たねあき)により築地大学(明治学院の前身)で行われたクリスマス・パーティーに、日本初のサンタクロースとともに登場している。

1885年に横浜で開業した明治屋が、1900年に東京銀座へ進出すると、銀座のクリスマス飾りは広く行われるようになり、同じころには、神戸でクリスマス用品の生産が始まった。

日本のクリスマス行事は、1928年の朝日新聞紙上で、「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるほど定着していた。

太平洋戦争中は影を潜めるが、戦後すぐに復活、1948年には東京駅などのクリスマスツリーが、(当時は国営鉄道であったため)宗教活動ではないかと問題にされ、運輸省が「季節的な装飾のひとつで宗教活動ではない」と釈明するひと悶着もあった。
現代の日本においては季節的な装飾として定着している。
出典・ウィキペディアフリー百科事典。