本年最後の小旅行のため19日まで掲載を中断いたします。

研究開発→誕生→代用品人気
ビールが高級品扱いだった大正時代末期に代用品としての「ノンアルコールビール」(ノンビア)がブームとなった。
ただ、技術や材料の不足で質の悪い物が多く流通していた。

当時赤坂でラムネ・サイダーなどの清涼飲料水製造販売「秀水舎」を営んでいた創業者の石渡秀に「ノンビアを作って欲しい」との要望が寄せられるようになった。

しかし、石渡は質の良い「本物のノンビア」を作りたい一心から、製造に使用する材料が揃わずにスタートすることには難色を示していた。

1926年(大正15年)、長野県野沢に清涼飲料会社を設立し別工場を構えた際、その地に当時入手困難であったホップの畑があるのを偶然発見。

それにより材料の入手・確保に目処が立ったこともあり「本物のノンビアが作れる」とノンアルコールビールの研究開発に着手する。

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昭和に入ると次第に戦時色が濃くなり、戦禍を逃れるために拠点を一度赤坂から野沢に移して開発を続けた。

そして終戦、戦禍を逃れた製造設備をそれと同時に野沢から赤坂に戻し、開発が完了していたホッピーの製造を開始し、1948年7月15日に発売。

発売当時、新橋で販売したところ、ビールが高嶺の花だったことから、焼酎をホッピーで割る飲み方が街で自然と生まれ、ビールの代用品の「焼酎割飲料」として爆発的に売れ「生よりうまいホッピービア」と言われることもあった。

1956年(昭和31年)ホッピーの製造特許を取得。1960年(昭和35年)麦酒様清涼飲料水のもろみ製造免許を取得。