金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
北陸紀行2日目・33金沢ひがし茶屋街」
(写真は全て2015年10月19日撮影)

東茶屋街から次の目的地へ城下まち金沢周遊バスに揺られて香林坊へ移動。
途中、兼六園や金沢城公園の石垣などを車窓から見ながら目的地へ。

城壁(ラテン語 moenia フランス語 muraille、英語 defensive wall) は、城の周囲を囲んで建設された防御壁のことである。

城郭都市では都市全体を囲い、また境界線(国境)上に建設し、外敵の攻撃から内側を守る。

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↑浅野川大橋バス停↓
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↑浅野川大橋バス停↓
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↑兼六園下↓
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↑金沢城↓
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↑兼六園↓
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↑金沢城
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↑石浦神社↓
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↑県立美術館
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↑犀川大橋
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↑香林坊下
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構造材は石材、レンガ、木材、土(版築)など様々なものがある。
日本では城(正確には城砦)の石垣・塀を指すことも多い。

日本の古代の都市(都城)では周囲を壁(羅城)で囲み、4方に門がつくられた。
内部の治安を守るために、夕刻になると門の扉を閉じ、翌朝まで外部のものが入れなくした。

日本の武士の城は、最初簡単な土塁、板塀、築地塀を用いていたものが多かったが、戦国時代になると、次第に築城のための技術も競われ、次第に強固で背の高い石垣が作られるようになった。

「武者返し」という、裾が広く上にゆくにしたがい傾斜がきつくなるもので登ることが極めて困難で、防御力の非常に高い石垣がつくられるようになった。

熊本城や江戸城の石垣はきわめて巨大なものとなっている。
萩城、熊本城などでは、石垣の上に木造の城がせり出すように建てられており、いざ敵が石垣を登ろうとすると、下方にひらいた戸をあけ、そこから石や湯 等々を落として攻撃するということも行われた。

石垣
石を組み上げて作られた壁、もしくは柵のこと。「石積み」「石塁(せきるい)」も同様に用いられる。

石垣は古来からあらゆる文明で見ることができる。
その手法も、自然の石をそのまま積み上げるものや、割った石や切った石を美しく組み上げて見栄えを良くしたもの、さまざまな種類の石を組み合わせて力を分散させ排水を良くして堅固にしたものなどがある。

石垣が築かれる目的は「土地の境界線」、「国境」、「防御施設」、「土地の補強」などである。

また城砦、城の建物自体の基礎として石垣が用いられることも多かった。欧米では更に城下に造られた民家の壁も、石を積み上げ漆喰などを塗って造ることがあり、町の名も"Stonewall"と呼ぶ例がある。

あるいは、特定の建物をそう呼んだり、たとえば、"Stone Inn"といった例もみられる。

スコットランドなどでは、羊の牧草地を石の柵で囲ったり、あるいはアラン島では風の強い土地の耕作地を、わずかな土が風で飛ばないように石の柵で囲むといった例もある。

日本などにある棚田のあぜは石垣によって崩れないように補強されている。
珍しい例では、陸繋島の水軍城である甘崎城があり、満潮時には見えないが、潮が引くと石垣が見える仕組みで、つまり、潮で陸路ができた時のみ防御の役割を担う石垣になっており、海中縄張り(海に没した石垣)という珍しい光景から、元禄4年(1691年)にこの沖を航行したドイツ人医師ケンペルが、帰国後、『日本誌』において、「水中よりそびゆる保塁あり」と記述を残している。

琉球諸島など日本の南方の島々の伝統的な村落では、屋根の上に石を積み、家屋の周りに石垣を積むことで台風などの強風を防いでいる。

例えば石垣島や竹富島など八重山諸島には、琉球石灰岩の石垣に囲まれた家々が建ち並ぶ景観が残っている。また、首里城や中城城などのグスクでも、石灰岩を切石にして構造物のように積み上げた石垣を見ることができる。
出典・ウィキペディアフリー百科事典。