先日、姪が娘のひなたのために作った、キャラ弁の事を書きました。
そして、思い出したのは、私の母も、やっぱり、ここまではかわいくなかったけど、色々と凝ったお弁当を持たせてくれていたな、ということでした。
母は、21歳になってすぐに私を産んでいるので、友達の中では、「若いお母さん」でした。
それだけに、センスも良くて。
幼稚園の頃、お弁当箱を開けたら、海苔を髪の毛に見立てた、顔のお弁当だったことがありました。
服に、卵焼きを使って、梅干しで頬っぺたを赤くして。
昔なので、ブロッコリーとかプチトマトなんて言う、手軽に綺麗な彩を与えてくれるような野菜も無くて、そんな中でも工夫して、すごくかわいい女のコの姿になっていました。
先生にも、周りのお友達にも、羨ましがられて自慢だったな~![]()
また、ある日は、サンドイッチをロール型にして、カラーのセロファンで包み、リボンを掛けてくれたこともありました![]()
セロファンって、今は見なくなりましたね~、そういえば![]()
キャンディみたいに、結んであるリボンをほどくと、ハムやキュウリ、卵で綺麗な色にまとめたロールサンドの断面が出て来る、というサンドイッチに、これまたみんなが大歓声をあげて褒めてくれて、すごく得意になったものです。
小学校に進んでからは、お友達の誕生日会に招かれることがよくあり、その時、何かプレゼントを持って行くのですが、うちの母の選んだプレゼントはいつもすごくお洒落でした。
綺麗な折り紙のセットだったり、可愛い小さめのポーチみたいなのだったり、とにかく、大好評で、「どうしてともちゃんのママは、こんなに子供のほしいものがわかるの
」と、友達に言われたものです。
当時、母はすごくお洒落で、ぴったりしたTシャツに、ジーパンをはいて、イヤリングなどもつけていたりして、友達の「いかにも日本のお母さん」な、お母さんたちとは違う雰囲気でした。
参観日でも、「ともちゃんのママ、かわいい」とか、「綺麗」とか言われていて、私の自慢のお母さんだったな~![]()
すごく厳しい人で、私は特に、成績が悪いと殴られたし、痣になるまで叩かれて、担任の先生が母を呼び出し、「この子は言い聞かせたらわかる子なので、体罰はお勧めしません」と、言ったこともあったそうです。
母は怖かったけど、でも、いわゆる虐待ではなくて、躾だったと思うし、愛情を感じていたから、きっと私も、反発することもなく育っていったんだろうな、と思います。
妹は、私のすぐ下の弟が8ヶ月で亡くなった後で生まれてきたので、本当に真綿にくるむように大切に育てられてきて、母から叩かれたこともほとんどありません。
そんな妹は、母とはあまり相性がよくなく、私は母が大好きで、それは大人になってからもずっと、変わらなかったような気がします。
22歳になってすぐに結婚した妹と違って、30代後半まで実家にいた私は、母と旅行したり、美術館に行ったりもたくさんしてきました。
そんなに仲良しだった、大好きな母が、認知症になって、知らない人になっていくのは、すごく悲しいことでした。
それでも、入院させるまでは、私たちのことは「娘」だと認識してくれていたし、病院に行ったときも、トイレに連れていくときなど、私の手を握ってくるのが、すごく切くて・・・。
それでも、やっぱり、父の介護と、認知がひどくなっていく母の世話は重荷すぎて、病院に入れてしまいました。
ずーっと、その時の悲しい気持ち、申し訳ない気持ちは、消えることなく続いているような気はします。
それでも、今、グループホームで穏やかな表情を見せてくれている母を見ていると、これでよかった、と、思うのもまた、本心ですが。
母に昔の記憶が戻ることは、もう無いのでしょうが、せめて幸せな気持ちで、毎日が過ごせたらいいな、と、願うばかりです。
姪っ子のキャラ弁から、母に思いをはせた、ここ2日ほどの私なのでした。
また、月末ころに、面会に行く予定です。
元気でいてくれるかな。
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