患者さんが透析をしないと決断した。
うちのユニットにずーっと来ていたSさん。
合併症もいろいろあり、状態が不安定になり、外来クリニックでは難しくなってからは、病院で透析を受けるようになっていた。
ある日、ボスが申し送りでこう報告した。
「前にうちにいたSさんが、今日最後の透析をするそうです。」
今朝、ユニットに電話をくれたらしい。
彼女の意志は固く、もう気持ちは変わらないこと。そして。最後にこの透析室のスタッフみんなに「今まで、よくしてもらって本当に感謝している」と伝えてほしいと。
その日、ボスは仕事の後に彼女に会いに病院へ行った。
翌日の申し送り。
ボスが彼女の様子を話してくれた。
入れ替わり立ち替わり、最後の挨拶に来る人がいる中で、彼女のお母さんは2人きりの時間を作ってくれたそうだ。
緩和ケアに移行して、今は食べたい物も、制限なく食べているようだ。「それは透析を、しないと選択した1つのベネフィットね。」なんて言いながら。
それって小さなことに見えて、透析患者さんにとっては、とても大きな「自由」
思っていたよりも、いつもの彼女だった。
冗談も言うし、元気そうだったと。彼女のボーイフレンドは動揺していたけど、それでも彼女の決断を受け止めて、支えてくれる人が沢山いる。彼女は幸せだね。とボスは言った。
その話を聞きながら涙が出てきた。私はその患者さんに特別強い思い入れがあったわけではない。
でも、ちょっとした会話や、「Pixie!」って呼びかけてくるあの声はすぐに思い出せる。
その話を聞きながら涙が出てきた。
透析をしないと言う選択。
それは、どう生き終えるかを、自分で決めたということ。
私より一つ下の彼女。まだまだやりたいことも沢山あっただろうに、逝くには早すぎる。
でも、身体的な苦痛にもう耐えられないという現実がある。
透析患者さんは、基本的に週に3回、一回4時間。下手をすれば、旦那と顔を合わせる時間よりも、患者さんと顔を合わせている時間の方が長いんじゃないかと思うことがある。
旦那と1日4時間も一緒にいること、そんなにないしね。
腎移植をして透析が不要になるか、そうでなければ、その人が亡くなるまでの付き合いになる。だから、透析室のスタッフと患者さんは本当に長い付き合いになる。気がつけば。家族みたいな関係になっていることも多い。そんな透析家族みたいな関係も、最近は悪くないなと思う。
透析をやめるという選択は簡単に受け止められるものでもない。
でも、その人らしく最期まで生きるという選択を、私はこれからもちゃんと見届けられる自分でいたいと思った。
彼女が穏やかに残りの人生を過ごせますように。
おわり