父が亡くなった後

母と2人で
過去をさかのばり
色々話した日があった。


母は、父と24歳で結婚した。
父は、25歳。

不妊治療をして34歳で、姉
36歳で、私を産んだ。


と、聞いていたのだが。


母は、私にかなりぶっちゃけてきた。

実は、両親は、できちゃった結婚
でも、その時の子供は、中絶
父は、責任をとり、その後、結婚をしたのだ。

ちなみに、水子供養など何もしていない。

不妊治療中、
不正出血があり胎児が一緒に
流れてしまったことも。

この子も、供養していない。

その後、姉が産まれたのだ

両親の喜びようは、すさまじく
父が、姉専用のアルバムに
どれだけ嬉しいか、
綴っている。

姉が産まれて一年が過ぎて
家を建て始めたころ
私がお腹にいることを知った両親
不妊治療をして、
やっとできたのだから
そうそう、妊娠できないだろうと
避妊していなかった。
歳も歳だし
建築中だし
私は、お腹の中にいるころから
できてしまって、どうしようと、
悩んだ子だったようだ。

いらない子供を産むなよ。
心のなかで毒づいた


私のアルバムの写真は、姉より
はるかに少ない。
父の感動の文章もない。

それから

時がすぎ、

姉の七五三と成人式は、
親戚中を呼んでの大宴会

私は、貸衣装を写真館でとっただけ。
たしか、七五三は、雨で、
お参りもしていない。

こんなに、姉妹で差をつけられる
ものなのかは、わからない。
友人と話したことがないから。


こう書くと
姉だけ溺愛されたかのようだが

姉は、わがままだったし
小学校の低学年からあまり、うちにいなかったので、
親から、かわいがられていたのは、
私だったと思う。

いつも、母の台所仕事を手伝っていた。
勉強をしろと、いわれたことは、
ほとんどない。
宿題を早めにおえて
母のそばにくっついていた。


そのことが、

後に短大の家政科にいくことに
つながったように思う。

話がそれてしまったが、
私は、40代になって
仕方なく産まれてきてしまった子供
という事実を親の口からしり

そのことは、
ジワジワと、自己肯定感を破壊した。


何か、辛い時
苦しい時

産まれてこなければよかったな

と、すぐ、思ってしまうくせがついてしまった。


夫に話したら、

ママが産まれてこなかったら
息子もうまれてないんだよ。

と、つぶやいた。


今日、息子が、夕方帰省するらしい。

相変わらず
曇り空のような私の心
心配させたくないような
心配してほしいような。



わたしは、人に対して
希望値が高すぎると、よく夫にいわれる。
だから、傷つくことが
人より多いのだと。


今、ブログを書いていて
涙があふれ
手が震える。


私は、私以外の人全員がうらやましい。