こないだ、夕飯を作っていたときのこと。
突然横に来た次男が
何も言わずに私が立っている場所の照明を消しました。
はい!??
その瞬間、強い怒りが湧いてきて私はぶち切れてしまいました![]()
このときに感じていた感情や感覚
が次男が小さい時に癇癪を起こしていたときに感じていたものと同じ感覚でした。。
過去に感じたのと同じ気持ちになるということは、まだ未消化な感情が何か残っているお知らせです。
色々と振り返ってみると次男の癇癪のことを思い出したので、
今日は癇癪について自分の経験から書いてみようと思います。
先日、いきなり電気を消してきた次男にぶち切れてしまった私。
やっちゃってるな。。
別にブチギレる程のことではないはず。。
と思いつつ止まらない怒り。。![]()
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不登校になった頃の、
私を馬鹿にする次男に対して感じていた怒りと同じ感覚。。。
あの感覚がよみがえってきました。
もっとさかのぼれば、次男が幼い頃、
癇癪を起こしていたときにも感じていた怒り。
次男が癇癪をおこす理由がわからなかった。
もともと育てにくく感じてはいましたが、
次男が小学生に上がった頃から
馬鹿にされているとか手に負えない無力感
を感じさせられる出来事がどんどん増えていきました。
それは私だけに癇癪を起こしたり、暴力をふるったり、
という形で表れていました。
当時、癇癪を起こしている次男に対して、
冷静に向き合おうと必死で怒りを抑えながら
なだめたりしていたけど、
全く収まらず暴れまわる次男。。。
私はいつも穏やかに寄り添わないといけないと思いつつ努力していたけど、
心の中ではそれとは真逆の怒り感情があり、
その2つの相反する感情の間で葛藤していて、
結局最後には怒りが爆発してしまっていました。
怒りの下には
馬鹿にされている
とか
私のせいで次男は荒れているという罪悪感
同時に
次男の癇癪を私がなんとかしないといけないけどどうしたらいいのかわからないという焦りや無力感
などがありました。
つまり自分の中にあるネガティブな感情に対応することで精一杯で。。。
次男の心の中でどんなことが起こっているのかに目を向ける心の余裕が全く無かったのです。
このとき、癇癪を起こしている次男の心の中でどんなことがおこっているのかが、全く想像もつかなかった私。
数年前から心の学びをし出したなかで、
この、癇癪の出来事と向き合っているとき、
次男の声が聞こえてきたんです。
ちょっと不思議なんですが、
「母さんなんで?」
という幼い次男の声でした。
繰り返し繰り返し聞こえてきました。
次男は癇癪を起こしているとき、
自分は困っているのに、
きつく叱る私に対して、
なんでおこるの?
なんで助けてくれないの?
と感じていたんだと思います。
学校で過剰適応していたのでそのストレスもあり。。
でもそんなこと自分ではわからないし言葉に出来なかったんですね。
私も気がつけなかった。
やりたくない習いごともあった。
日常生活であれこれ口立ちされて行動を制限されることが、
私が想像する以上に次男にはストレスだった。
他にもたくさんあったと思いますが。。。
私達大人だって自分の心の中のことをうまく言語化出来ないことはたくさんあります。
毎日そんな感じで癇癪を起こしては暴れていたので、
ひとりで苦しかっただろうと思います。
可哀想なことをしてしまった
次男が可愛そう
最近夫から別件で「次男を可哀想な子だと思っているんじゃないか?」と指摘されたことがあった!
やっぱりこのことの罪悪感がまだあるなと気が付きました。
その当時、夫から
「あんたが変わらないと次男の態度や癇癪は良くならない。もっと毅然とした態度でおらなあかん。」
と言われていたのですが。。。
なんで私だけが悪いみたいに言われないといけないんだと思っていました。
毅然とした態度が難しかった。
たぶん今でも苦手ですが。
私が次男が自分で自分の感情処理ができると信じて見守ることが出来なくてあれこれコントロールしようたしていたことが癇癪をひどくしていたと私は思っていますが、
多分夫も肌感覚ではそのことに気がついていたんだと思います。
毅然とした態度って具体的にどんなだろうと思い調べてみました。
「毅然とした態度」とは 「毅然(きぜん)」という言葉の意味には、厳しく対処する、揺るがない姿勢や態度、強い意志を持って、何らかの対象に向けて強い姿勢で臨むというニュアンスが込められます。
なるほどです。
当時子育てに対して迷いだらけだった私は揺るがない姿勢や態度というのは、
やっているつもりでも取り繕ったようにしか出来なくて、
自分に自信がないから強い姿勢で挑むことも難しかった。
それでも精一杯やっていたなあとは思います。
夫が言う毅然とした態度はシンプルに駄目なものはダメ、ということの様です。
私が思う毅然とした態度は、
次男に自分の感情の責任を取らせるようなイメージです。
どうにもならない感情があるのは仕方ないけど、それをなんとかするのは本人で、そうすることがあなたなら出来ると、一線ひいてこちらは手を出さない。
確かに私が変わる必要はあるだろうと思いつつも、
自分がどう変わればいいのか全くわからなかったです。
今になって思うことは。。。
私の中にある
馬鹿にされているとか自分には解決出来ない無力感などのネガティブな気持ちがそこまで強くなければ、
言い換えるなら、
私の心に動じないだけの余裕があれば、
日頃から怒ったり焦ったりせず次男と向き合うことができていたんじゃないかと思います。
そうすれば、
次男の様子から気持ちを感じ取ることが出来たり、
あのとき思いつかなかったような柔軟な考え方が出来て、
かなり対応しやすかったのではないかと思います。
自分の感情でいっぱいいっぱいになっているとき、
人は自分以外のことに目を向ける余裕なんてありません。
敏感な次男は私が表面的に平静を装っているときも、違和感を感じ取っていたはずです。
私が頼りにならない(気持ちを受け取れない)から、次男は安心できないし、
どうにもできない、行き場のない感情が爆発して、
自分でもコントロールできないくらいに荒れていたのではないかなと思う。

自分らしくないことを我慢してやることが出来なくて癇癪を起こす次男に当時は
そんなことくらい我慢してほしいと思っていましたが、
その我慢は次男には出来ないことで、
言い換えるなら、
自分の魂に正直なんです。
今回こうやって振り返ってまた、
少し軽くなった感じがしています。
ではでは〜
