今日の大河ドラマ「豊臣兄弟」は、「さらば半兵衛」

ついにこの日が来てしまった、、、。


ところで!


名古屋スタバ番長なつです。




 「知らぬ顔の半兵衛を決め込む」という言葉を聞いたことがありますか?

 「本当はよく知っているのに、知らないふりをしてすます」という意味の慣用句ですが、この「半兵衛」が、戦国時代に豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)を支えた天才軍師、竹中半兵衛(重治)がその由来とされています。

 今回は、なぜ彼が「知らぬ顔」の代名詞になったのか、彼の天才的な知略が光る2つの深掘りエピソードをご紹介します!


1. 敵の裏をかく!

織田信長が美濃(現在の岐阜県)を攻めていた頃のお話です。信長の命を受けた前田利家は、当時敵方で引きこもり生活を送っていた天才・竹中半兵衛を織田家に引き抜こうと(調略)接近しました。

 

 利家はまず、半兵衛の娘に近づいて仲良くなり、外堀から埋めて話を持ちかけようと画策します。

 しかし、半兵衛の鋭い洞察力はすべてお見通しでした。普通なら怒るか警戒するところですが、半兵衛は「何も気づいていないおめでたい人」のふり(知らぬ顔)を通します。それどころか、すっかり油断した利家から織田軍の兵力や作戦などの重要情報をポロポロと引き出すことに成功。

 結果として織田軍を完璧に撃退してしまったのです。

 「騙したと思ったら、騙されていた」という、まさに食えない男の本領発揮エピソードです。


2. 主君の命令を無視!?

「軍律違反」をすっとぼけた理由半兵衛が秀吉の軍師になってからの、別の戦場でのエピソードです。

 ある時、秀吉が全軍に向けて「陣払い(撤退)」を命じました。しかし、半兵衛だけはその命令に従わず、自分の手勢1,000人をそのまま陣地に残したのです。(長篠の戦い)

 当然、秀吉は激怒して「なぜ命令に従わない!」と半兵衛を厳しく責め立てました。ところが半兵衛はここでも平然とすっとぼけ、知らぬ顔を決め込みます。

 実は、半兵衛は敵が撤退に乗じて追撃してくること(追撃戦)を予見していました。彼の読み通り、引き返す秀吉軍を狙って敵が襲いかかってきますが、半兵衛があえて残しておいた1,000人の伏兵がこれを完全に撃退。

 結果的に秀吉のピンチを救ったのです。「軍律違反をすっとぼけておきながら、最後はしっかり主君を救う」という、あまりにもカッコよすぎる知らぬ顔でした。


まとめ:ただの「冷たい居留守」ではない!

 現代で「知らぬ顔の半兵衛」というと、面倒なことから逃げるためにトボケるような、少しネガティブなニュアンスで使われがちです。

 しかし、語源となった竹中半兵衛の「知らぬ顔」は、「大局を見据え、あえてバカのふりをして完璧な結果を出す」という超ハイレベルな戦略でした。


 みなさんも、職場の人間関係やトラブルでピンチになった時は、あえて「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んで、裏で冷静に対策を練ってみる、、、


なぜこれを書いたかって、、、

わざとブログを書くのを「知っていましたが」「書き忘れていましたが」と書いて、

他の人のブログの内容を並べ替えてブログを書く人にイライラしていたからです!



垂井町の小川新聞店で購入した、知らぬ顔の半兵衛のお薬手帳の写真


わたしのお薬手帳は、、、

知らぬ顔の半兵衛さん。



これを買うかどうかずっと迷ってる!ちなみにわたしが小学生の修学旅行で泊まったのは「本能寺会館」