(東京新聞より)

〈追悼〉倉本聰さん「9条変える責任が取れるのか」 武器を手にした経験があるから語っていたこと

 テレビドラマ「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰さんが9月18日、多臓器不全のため亡くなりました。91歳でした。東京新聞は2017年9月23日の朝刊で、倉本さんへのインタビュー記事を掲載しました。その内容を再掲します。

◆僕は徴農制導入を主張しています

 

 ──北の国に住んで、ちょうど40年。今の日本をどう思いますか。

 

 未来は暗いですよ。真っ暗じゃないですか。若い人たちを見ていると、物質的な贈与は受けていると思います。でも、精神的な贈与は受けていない。贈られているのに、ちゃんと受け取っていないと強く感じます。僕はそれをやろうとして富良野塾を26年間やったんだけど、年を追うごとに吸収、インプットができない若者が増えました。

 

 これは偏差値教育、知識偏重教育から来ていると思います。僕たちは子どものころ、まず道徳や倫理を教えられた。難しいことじゃない。うそをついてはいけない、恥を知れといったことです。今はどうですか。加計学園の問題で、文部科学省の前川喜平前次官がこういう文書がありましたと言っているのに、それを裏付ける証言がなかなか出てこなかった。文科省の職員たちは当初、うそをついていたわけですね。教育をつかさどっている文科省がそうなんだから、後は推して知るべしですよ。

 

 ──知識偏重ではない教育とはどのようなものですか。

 

 僕は徴兵制ならぬ徴農制を導入しろと主張しています。若い人たちは土に向き合うべきなんです。なぜ農業か。食うこと、つまり生きることの根源につながるからです。江戸時代の思想家・安藤昌益は万人が額に汗して田畑で働く「直耕」を掲げました。孔子も孟子も釈迦(しゃか)すらも、働かずに観念をもてあそぶ者として拒否した。極論だけど見事だな。僕は男の人と会うときは、つい爪を見てしまう。爪の中は黒くあるべきですよ。土に触れていればね。

 

 根源的に生きるとは、何も持たない海抜ゼロから自らの力で生きていくことです。そこには覚悟と責任が伴います。知識偏重の社会では、それが欠けがち。原発や憲法の論議にも、それを感じますね。

 

◆原発被災地、国は真剣に考えていない

 

 ──原発では何が問題でしょうか。

 

 各地の原発が再稼働していますね。本当に物を考えていないなという気がします。審査を通ったということですが、核のごみはどうするのかという肝心な問題は解決されていない。再稼働なんてすべきじゃないですよ。

 

 一方で、既に出てしまったごみはどうするのか。知らないでは済まされないとも思っています。誰かが責任を持って引き受けないといけないのに、誰も言い出さない。安倍さんも地元の鍾乳洞「秋芳洞」に受け入れるとは言わない。

 

 だから言ったんです。僕はもう80すぎで、いつ死んでもいいから、もしどこかに最終処分場を造って周囲300キロを限定地域にし、医療施設があるなら住みますよと。

 

 大体、原発事故の被災地について国が真剣に考えていないと思います。復興庁を置くなら、どうして福島県内のがれきの中にしないのか。目の前に都会のネオンが見えているのと、がれきが見えているのとでは、意識が全然違うはずです。

 

◆9条変えれば 戦争することに理屈がつく

 

 ──憲法論議についても、違和感を覚えますか。

 

 理屈でいえば、安倍さんが言うように今のままでは自衛隊は違憲。自衛隊のレーゾンデートル(存在理由)としては困るんでしょう。国としてはおかしいという気はしますよ。ただ、僕としてはおかしいままでいいんだと言いたい。9条が改正されれば、戦争をすることに理屈がついてしまう。戦争が当たり前になっちゃいけないんですよ。あのあいまいさが日本的でいいという気がする。

 

 ──北朝鮮が挑発を強め、安全保障上の危機を感じている人は増えていますが。

 

 北朝鮮の核開発により、ここまで危機が迫っているからこそ、あいまいなままでいいと言いたい。戦争はけんかですから、殴られたら殴り返します。歯止めがきかなくなりますよ。ほかの法律だってあいまいだ。なぜ9条だけはっきりさせないといけないのか。

 

 僕が9条を改正しなくてもいいというのは、単なる平和主義ではありません。自ら武器を手に取って戦うことに向き合った経験があるから言うのです。

 

 30年ほど前、米ソの関係が危なかった時期がある。北海道の陸上自衛隊名寄駐屯地に講演に行ったら、そこのトップの司令に「本当に危ない。いつ攻めてくるか分かりません」と言われたんです。そこでリアルに考えました。ソ連兵が攻めてきたらどうするか。かみさんと山に逃げるだろう。そして洞穴を見つけて隠れようと。クマはいるだろうけど、クマの方が怖くない。かみさんやマネジャーが捕まったらどうするか。僕は戦う。チェーンソーや下草刈り機なら使い慣れているから武器になると。

 

 それに、血を見ることに僕はそれほど恐怖心は持っていません。富良野塾で毎年、塾生にニワトリをしめさせてきたから。僕はナイフで羊をしめた経験もあります。命を奪うということの恐ろしさを知っているつもりです。

 

 ──護憲派も改憲派もそういう経験をしていない。

 

 護憲派は戦争が嫌だって言うけれど、殺されるのが嫌なのか、殺すのが嫌なのか、あいまいなんですね。あれはね、殺すのが一番怖いんですよ。殺す方がトラウマ(心的外傷)になる。だから米国は遠くから攻撃できるシステムを作り上げてしまった。遠隔攻撃の先で何が起きているか。ボタンを押した方は想像できていない。そういう現実を知って反対しないとだめですよ。

 

 改憲派は9条を変えるというけれど、みんなそのことに責任取れるんですかね。言っている人たちは軍隊に行く度胸や勇気がありますか。「俺は足が動かないから無理」というのはなし。足が動かなくても車いすでも行かないといけないんだから。

 

 安倍さんも防衛相も自分が戦場に行くなんて思ってないでしょう。あるいは自分の息子が戦争に行く、自分の妻が強姦(ごうかん)されるなんて想像もしていない。でも戦争ってそういうものなんだから。満州(現中国東北部)から引き揚げてきた人たちは実際そういう目に遭った。

 

◆今の危機は 「自分で考えるチャンス」

 

 ──若い人たちに一言。

 日本のお先は真っ暗なんて言いましたが、今の危機はあなたたちが自分で考えるいいチャンスだと思います。国のために戦えるかというアンケートを世界各国で取った時、日本は11%で最下位だった。これでは困る。いざとなれば自分が戦うという覚悟があってこそ、今の憲法をどうするかの議論が生きたものになるでしょう。今のままでは、日本は無政府主義になってしまう。国の成り立ちを考えれば、役人や政治家はあくまで公共のしもべにすぎない。自分たちが主人であるとの自覚を持って、生きてほしいですね。

 

(デイリー新潮より)

NHKともめた結果の「大河ドラマ降板」が「北の国から」を生んだ

 倉本さんがまだ頂点を極める前、30代の時に大河ドラマ「勝海舟」の脚本に抜擢されたものの、途中降板することになったのは有名な逸話である。

 

 一体何があったのか。

 

 著書『ドラマへの遺言』(碓井広義氏との共著)では、倉本氏を師と仰ぐ碓井氏を前に、その当時の秘話をたっぷり語っている。以下、同書をもとに見てみよう。

 

「勝海舟」は1974年の大河ドラマ。主役の勝海舟には渡哲也、坂本龍馬に藤岡弘、、岡田以蔵には萩原健一、といったキャスティングだった。

 

 倉本氏は、このドラマのために当初、脚本家の域を超えて貢献ぶりを見せていた。たとえば収録がはじまってまもなく、主演の渡哲也が病気のために降板するという緊急事態が発生したのだが、その際、代役のキャスティングのために奔走したのも倉本氏である。代役は松方弘樹。前年には「仁義なき戦い」も公開され、人気も高まっていた頃だ。

 

「でも最初、NHKは松方をキャスティングできなかったんです。当時は売出し中で、大阪のコマ(梅田コマ劇場)に出ていた。“俺、口説いてこようか”って聞いたら、“口説ける?”って言われて“分かんないけどやってみるよ”。

 

 それで東映の本社に乗り込んで、岡田茂さん(東映社長)に直談判したんです。かくかくしかじかで“非常に困ってるんです”って言ったら、本人次第だと。

 岡田さんが“今から大阪行けるかい?”って言うから“行けます”って。“じゃあ俺電話入れておくから本人を口説いてくれ”と。それで、すぐ新幹線に飛び乗って大阪へ」

 

 面識はあったのかといえば――

 

「全くないけど、コマへ行ったら松方が待っててくれた。僕が入っていくと“岡田社長から聞きました”って。僕が岡田さんを知ったのは京都の撮影所長時代だけど、その頃はもう社長だったな。それで松方は“やらせていただきます”と即答。

 

 僕が新幹線に乗っている間に岡田さんがいろいろクリアしてくれて、松方の返事も早かった」

 

 この時点では、大河ドラマを救った功労者だったのだ。このドラマで、松方は結婚相手も見つけることになる。

 

「渡と代わったばかりの松方と、こともあろうに仁科明子(現・亜季子)がくっついちゃった(笑い)。明子のおふくろさんがうちに来てね、“お恨み申し上げます。何で松方さんを使ったんですか”と迫る。

 

 そんな恨まれたって僕が別にあれしたわけじゃないんだけど、“先生のせいです”ってえらい恨まれて。マスコミに騒がれて明子は行方不明になっちゃうし。僕もあれには参った」

 

 それにしても、ここまで貢献していたのになぜ降板することになったのか? この疑問に、倉本氏はこう答える。

 

「それを出過ぎだっていうふうに若いディレクターはとったんでしょうね。つまり、僕に何かを頼むのはプロデューサーたちでしょ。プロデューサーは管理職で、現場はみんな組合員なんですよね。組合員と外部の倉本聰、どっちを大事にするんだって、プロデューサーが詰め寄られちゃった。しかも当時は力のあった民青(日本民主青年同盟)が組合を牛耳ってたから、本当に大変でしたよ」

 

 現場で不興を買ったのは、キャスティング問題だけではなかった。

 

 倉本氏は、自分が書いたドラマのホン読み(台本の読み合わせ)に参加することで知られている。一般的にホン読みに脚本家は呼ばれないのだが、自ら参加してセリフの言い回しやトーン、緩急や間の取り方などを確認するのが、倉本氏の流儀だった。しかし、これが「演出の領域に踏み込む行為だ」とディレクターの反発を買ったのだ。

 

 さらに、女性週刊誌に「大河脚本家がNHK批判」というインタビュー記事が掲載されたことで、対立は決定的なものに。記事を読んだスタッフから総攻撃を受けた倉本氏は、羽田から札幌に飛んでしまう。

 

「1974年の6月ですね。記事が載った週刊誌『ヤングレディ』が出た日だから、よく覚えています。

 

 札幌にいたのは結局3年かな。2年目くらいから本気で居場所を探して北海道中を歩き回った」

 ただ、この段階では倉本氏は降板していない。北海道でも脚本を書き続けていたという。

 

「でもね、NHKがもう代役の作家を立ててるって話は聞きました」

 

 さらに、札幌での不摂生が祟り、肺炎を患い、東京の病院に入院することになってしまう。

「札幌じゃ、ひとりで飲み歩いてたからなあ。

 

 結局NHKからは、病気降板という形で大河を降りたことにしましょうという話がありました。制作側と喧嘩したのが6月ですよね。でもそのあと9月くらいまでは書いてたんです」

 

 従って、巷間伝えられていたように倉本氏が自ら降板したのではなく、正確にはNHK側の都合で降板させられた、というのが真相のようだ。さて、病気から快復した倉本氏は再び北海道に戻る。1977年には富良野に移住。

 

 そしてあの「北の国から」が生まれるというわけだ。大河ドラマのトラブルが、結果的には歴史的名作を生むきっかけになったのである。

 

(日刊スポーツより)

倉本聰さん代表作「北の国から」は人の死、妊娠中絶、不倫も描いた富良野で暮らす親子3人の物語

 

脚本家の倉本聰(くらもと・そう、本名山谷馨=やまや・かおる)さんが18日、多臓器不全のため死去した。91歳。倉本財団が28日、公式サイトで発表した。

 

代表作の「北の国から」は、フジテレビ系の連続ドラマとして81年10月に始まった。82年3月まで毎週金曜午後10時から全24話を放送。その後も「'83冬」「'84夏」「'87初恋」「'89帰郷」「'92巣立ち」「'95秘密」「'98時代」「2002遺言」と、数年に1回のペースで全8編のスペシャルドラマが放送された。

 

物語は、東京での生活に疲弊し故郷の北海道・富良野市に戻った主人公の黒板五郎(田中邦衛)が、長男純(吉岡秀隆)、長女蛍(中嶋朋子)の2人の子どもと、厳しい自然の中、たくましく生きていく姿を描いた。子役だった吉岡、中嶋の成長を、20年以上にわたって追いかける、ドキュメンタリー番組のような要素も加わり、絶大な人気を誇った国民的なドラマとなった。02年放送の「北の国から」シリーズ最後のスペシャルドラマ「2002遺言」の視聴率は、2日連続放送の前編が38・4%、後編が33・6%を記録するなど、スペシャルドラマ8編全11回の放送は全て20%を超えた。

 

連続ドラマで五郎の妻だった、いしだあゆみ演じる黒板令子が亡くなり、スペシャルドラマ「'98時代」では、岩城滉一演じる草太が若くして亡くなるなど、別れの描写は多くの人の涙を誘った。また純の恋人だった宮沢りえ演じるシュウが元AV女優であったり、蛍が不倫したりと、センセーショナルな内容も盛り込まれ、幅広い年齢層から注目を集めた。

また五郎が中華料理店で発した「子供がまだ食ってる途中でしょうが!」、

純が妊娠させたタマコ(裕木奈江)の叔父を演じた菅原文太の「誠意って何かね?」などの名セリフは、当時から今も、多くの人の胸に刺さった。他にも「夜になったら眠るンです」「疲れたらいつでも帰ってこい。息がつまったらいつでも帰ってこい。くにへ帰ることは恥ずかしいことじゃない」「お前の汚れは石鹸で落ちる。けど石鹸で落ちない汚れってもンもある。人間少し長くやってりゃ、そういう汚れはどうしたってついてくる」など心に響く名言も数多くある。

また、「アーアーアアアアアーア」で始まる、さだまさしの主題歌「北の国から~遥かなる大地より~」の切ないメロディーも、ドラマの世界観を表現していた。さだは後年、倉本さんから「ギター持って来い」と呼ばれ、「パーティーがあると思ってフラッと行った」ところ、ドラマのビデオを見せられ「『今、曲つけろ』って言われて、『お前、音楽やれ』って。それで、その場で一生懸命、考えて、倉本先生が何度も(ビデオを)巻き戻して……苦労しましたね」と明かしている。

 

 

 

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