皆さま、こんばんは。
今夜もブログをご覧くださり、ありがとうございます。
今回はその「境界」にまつわる番外編として、日本の古い歴史書『常陸国風土記ひたちのくにふどき』に遺された、あるお話をご紹介いたします。
神さまと人間が共に生きるための、「境界」をめぐる物語です。
舞台は、現在の茨城県行方なめかた市周辺。
はるか昔、継体天皇の時代、麻多智またちという名の男が、谷深い葦原あしはらを切り拓き、新たな水田を作ろうといたしました。
しかし、そこは古来、人間の立ち入るべきではない聖域だったのです。
その土地には、「夜刀の神やとのかみ/やつのかみ」と呼ばれる、蛇の姿をし、頭に角を持つ土着の神々が棲んでいたと伝えられています。
神々は、自らの領域を守るように、その姿を現しました。
自然の脅威を前に、麻多智は退きませんでした。
彼は鎧を身にまとい、大きな矛ほこを携えて神々と対峙します。それは、生きるために土地を拓こうとする人々の強い決意でもありました。
麻多智の氣迫に押され、神々は山のふもとへと退きます。
そこで麻多智は、山と里の境界に一本の大きな杭くいを打ち込みました。
「ここから上は、神々が静かに鎮まるべき聖なる領域。ここから下は、私たちが生きるための田畑。どうか、互いの領域を侵すことなく、清らかに分かち合いましょう」
それは、自然への降伏でも支配でもなく、互いの尊厳を守るための「一線」でした。
力でねじ伏せて終わりにしないのが、この物語の面白いところです。
麻多智はこう続けました。
「これからは、私が神主となり、皆さまの社やしろを建てて、末永く、心を込めてお祀りいたします。どうか怒りを鎮め、これからはこの地を守る守護神となってください」
麻多智は言葉通り、山の入り口に厳かな社を築き、夜刀の神を丁寧に、深く祀りました。
神々もその至誠しせいに応えるように静まり、以後、その地には豊かな実りと、穏やかな調和がもたらされたといいます。
※麻多智が建てたお社は、時を越えて今もこの地に残されています。
※麻多智が建てたお社は、時を越えて今もこの地に残されています。
現在は「天龍山愛宕神社」としてお祀りされており、その境内のすぐ隣には、「夜刀神社(やとじんじゃ)」という小さな祠もあるそうです。
はるか昔に交わされた、神さまと人との約束。
長い時を越えて残るその場所に、昔と今がつながっているように感じます。
古代の人々にとって、「蛇」は氾濫する川や沼地など、大自然の大きな力の象徴でもありました。
自然を畏れ、敬い、ともに生きる。
そんな日本人の、神さまや自然と向き合う姿勢が、このお話しには表れているように感じます。
人が暮らす場所と、神さまがおられる場所。
このお話しに登場する一本の杭もまた、昨日ご紹介した「磐境」と同じように、神さまの世界と人の世界を分けるお役目を果たしていたのだと思います。
次に神社へお参りする機会がありましたら、ぜひ鳥居の前で一度立ち止まり、「ここから先は神さまの場所」と感じながら境内へ足を進めてみてくださいね。








