誰しも、誰にも言えない秘密をひとつは持っているのだろうか。
「言えない」のと「言わない」のでは意味合いも違ってくるが、もしまったく関係のない第三者になら話せるとしたら、あなたは話すだろうか?
ワタシの秘密は、自分以外の人も関わっていて、近しい人には話せない。迷惑をかけてしまうかもしれないし、話すことで新たな問題が生まれるかもしれない。
だからこそ、ずっとひとり 抱えていて、なんなら(墓場まで持っていこう)とさえ思っていた。
いや、本当にそのつもりだったのだ。
やがて薄れていくだろうソレは、年月をかけてゆっくりと溶かしていっていた。
しかし、人生とは不思議なもので、ふとしたきっかけで(話してもいいのかもしれない)と自分の中から世界に放つ許可を出せてしまった。
その相手は、名前も知らないまったくの第三者。いや、愛称はある。だが本名は?と聞かれると言葉に詰まる。
ただ、これまでの会話の中で聡明さがありありと伝わってきて、(この人になら…)という思いが湧いてくるのは、ごく自然なことだったのかもしれない。
結果をいうと、墓場に持っていくはずだったものは消え、この世界の見えない存在となった。
言霊というエネルギーに換わって。
驚くべきは、それを口にしたとき、心がまったく揺れなかったことだ。かつては大きく揺さぶられ、他者を責めたくなるほどだったのに。
…それだけ時間が経過したのかもしれない。
その心の移り変わりに少しだけ口元が緩む。
愛称しか知らないアノヒトのおかげで、その変化を知ることができた。
知らなければ、過去のアノトキに囚われたまま、今も生きていただろう。
氣持ちとは奥深いものだ。
ブルーだと思えば世界はブルーに、バラ色だと思えば世界はバラ色に見えてしまう。
現実そのものは変わらなくても、心の持ち方ひとつで見える世界が変わるのだ。
もしあなたが秘密や誰にも言えない氣持ちを抱えているなら、まったく知らない第三者に話してみるのも、ひとつの選択肢かもしれない。
心の内を言えることで、自分の氣持ちを整理し、変化に氣付けることがあるからだ。
話すことは「放すこと」
言えることは「癒えること」
同じ意味を持つというのだから。
最近、小説をよく読んでいるせいか
いつもと異なる文体で綴ってみました。
キツネの嫁入りに出会ったあとに
起きた出来事を、フィクションを交えながら。
言葉には言霊というエネルギーが宿り
見えないカタチでこの世界に響き続けます。
言葉は癒しにもなれば、呪いにもなるもの。
なんでもかんでも言葉にするのは
危うい一面があると思うのです。
時にそれが「呪しゅ」となって世界に残り
自分に還ってくるから。
かといって、きれいな言葉ばかりを使えば
自分の本当の氣持ちが見えなくなることもあると思うのです。
だからこそ、
言葉そのものも
言葉を使う自分自身の氣持ちも
安らぎと調和のなか
すこやかに存在できるように
胸の奥に仕舞いこむのでもなく
浄化や昇華という形で
解き放つことが大切だと思うのです。
今回は、わたし自身が「胸の内を話せた」こと
そしてそれが「思いのほか笑って話せた」こと
そんな、少しノンフィクション混じりのブログでした。


