3.11から4年… | Time limit

Time limit

望まなくてもそこにあるもの… なぜか人を不安にさせるけど、それがあるから今を大切にしようと思えるのかもしれない。仕事、遊び、持病、そして介護、後悔しない1日にしたいよね。


2011年3月11日(金)14時46分18.1秒

東北地方太平洋沖地震

発生


階下には両親がいた

嫁は河原を散歩するといって出かけていたが

自分は

2階で仕事をしていた

ものすごい地鳴りとともに大地震は来た

いつものように終わるだろうと思っていたけど

揺れは益々激しくなった

棚からいろんなものが落ち始め

PCの周辺機器が飛んで

キーボードが弾けとんだ


身動きできない揺れに翻弄されていたが

さすがに虎の子のプリンターが飛びそうになったときは

足元の棚から落ちた本の山を踏み越え

無理な体制で押さえ込んでいた



長い時間が流れたような気がしたが


まったく揺れが止まらない…

気づけば

大声で止まれぇ~コノヤロウ!!!

早く止まれぇ!!!



何度も叫んでた…



震度6強はやっぱり

凄まじい揺れだったよ



3分10秒が

まるで永遠かのように長く感じた


揺れが収まった我が家の惨状は写真を撮るのを忘れるほど

というか

カメラのありかさえわからない状況


慌てて駆け下りた居間では

両親が

地震前の形のまま放心状態で固まっていたけど


なんとか無傷で済んだ

その時は…


散歩中だった嫁は

まるでバケツの水のように揺れる川から逃げ帰って来た

地震の間中

河原の草にしがみついていたと後で聞いた

当然家はもう潰れていると思って戻ってきたけど

在ってよかったと安堵してたっけ


当然ライフラインは寸断





家中の容器に水を汲んできていました



真夜中の浄水場へ何度行ったことか

そのころすでに知らぬ間にALSを発症していた嫁は

何度もびしょびしょの水場で転がっていました…

これも

辛い思い出



こんなソフトクーラーBOXにまでビニール袋を装着して

汲み置きしていたんだっけ…


震災後

腰を圧迫骨折していた親父は

何度かの入退院の後他界しましたが

おふくろはまだまだ健在

未だに地震をとても怖がります

まぁ

あたりまえですね

以来1ヶ月以上

ライフライン

特に

水の大切さを思い知った次第

震災後

宝くじを買って来いとうるさい親父殿を納得させるために

状況写真を撮った


店など開いてる訳もなく

まるで

ゴーストタウンだった…



どうしても

原発事故さえなければと思わずにはいられない…

政府には基本的に忘られてる気がしてるのは

自分だけでは無いよ


政治家さんたちは

なぜ


福島原発の早急な安全停止に向けて一致団結してあたれないのか


不思議でならない


我々の街は当時


確かに陸の孤島だった


運送会社さんにも


ガソリンタンク車さえも乗り入れを拒否していたのだから


物流は完全に止まっていた


誰しもが不安という暗雲に覆われていた







非公開のままだったものもあるので

掲載




アクアマリンの向かい側に乗り上げたタグボート







累々と続く車の葬列

ドライバーの安否が気にかかったまま通り過ぎた光景




こんな踏切の遮断機までがポッキリ

津波の破壊力を思い知るばかり…



当時の名物

給油渋滞

3時間並んで上限5ℓなんてこともあったっけ






小さいレンズで最大望遠なのでボケボケですが…



ららみゅうのゴミの山



暮らしがまるごと消えてしまった…


海岸線のお店は壊滅的被害を受けたが

今は復興している店も多く喜ばしい









何事もなかったように広がる



蒼い空と海をただ見つめてたっけ…









地震は仕方ないと思う


津波に対しての認識は広まったとも思える


しかし



原発はどうだろう


人知の及ばぬ世界ではないのかな


負の遺産では無いのかな



私たちは


この手に負えない代物を手放す好機さえも




失うのかな…









絶対安全



コントロール出来ていると声高に世界に向けて断言したあの人に



問いたいものだね







その




根拠は?



















※写真の無断転載はご遠慮下さい。








※数々の魂の平安と、未だに帰らぬ方々が一刻も早くご家族の元に変えられんことを切に願います。