ここ最近の僕の恋愛話を六本木熟女店の女子にした。


するとこんな事を言われた。

「とても愛情たっぷりに育てられたのね。」と。

僕の女性への愛情の注ぎ方を聞いてそう思ったのだそうだ。


言われてみれば、それを否定するものは何もない。

僕の悩みは、逆に母親の過剰な愛情にあったからだ。


今でこそ、母親とは非情に良い関係であるが、僕の半生は、半分母親との葛藤の歴史だ。

自由になりたくて自由になりたくて戦い続けた。

戦わねば立派なマザコンの称号を得ただろう。


過剰で大分いびつではあったが、愛情があったことは間違いない。

僕の子供時代をしる人は、皆口を揃えてこういう。

「おかあさん、大変だったでしょう。」と。


物心ついたときには、僕は肥満児だった。

今時の表現をすれば、一家揃ってメタボリック。

そして、子供の頃、晩御飯がカレーの日は、母は僕に多めに肉をよそった。

色気づき始めた僕は、すでにダイエットしたくて、そんなに肉を入れないでくれと母親に頼んだ。

すると母は、

「あなたの為にしてるのに何でそう言うの?」

といって怒りはじめた。


頼んでないよ。と心でつぶやく。

肉を入れたいのは、あなたのかってで、愛情の押し付けだと思っていた。


母親の過干渉は、大人になっても、変わることは無かった。

結婚相手も私が選ぶといっていた。


いつでもグレル準備は出来ていたが、グレなかったのには理由がある。

それは、僕が喘息持ちだったことにある。


夜中に喘息の発作が起きると、母親は一晩中、僕の背中をさすった。

母親に借りを作りたくない僕は、喘息の発作が出てることを隠そうとした。

息が出来ないことを悟られまいとすればするほど喘息の発作は悪化した。


だが、そこには、自己都合でない母親の愛情があった。


喘息が僕と母親を繋いだのだ。


確かに、僕の愛情の対象は、それに飢えたものに向けられる。

父親的愛情を持って、包み込みたいのだ。

対等な恋愛は僕には不可能だ。

相手は、まるで、愛情のキャパシティを試すように挑んでくる。

その匂いをかぎつけて来るのだ。


言われて気付いた。そう僕は愛情たっぷりに育てられたのだ。

だから役割はいつも父親代わり。