どんな、お付き合いでも、多少の経済的なやり取りは発生する。

奢り奢られ、付き合いがドンドン深くなっていくものだ。


僕の場合は、かつて、そのお付き合いの為の交遊費用で身上をつぶした。

身上をつぶしたというと思い出すのは、


「おはらしょうすけさん、なぜしんしょをつぶした。朝寝、朝酒、朝湯大好きで・・・」

民謡-会津磐梯山-


小原庄助さん、あなたは、もともとお金持ちだったらしいので、さしずめバカボンボンってとこか。

(僕はもともと貧乏の出なのでそこが違うが)


ネットであなたのこと調べると、地元の芸者さん達は、

「なぜしんしょを起こした。」

と唄うのだそうだ。


あなたは、怠け者の代名詞だが、実は物凄く人の役に立った人物ではなかったか。

唄に残るぐらいの人物。

民謡で実名で唄われる人物なかでも、国定忠治や清水次郎長みたいな任侠者でないのも何だか可笑しい。


しんしょを潰す過程に於いてどれだけ救われた人がいたことか。と想像してしまう。

少なくとも酒屋さんや芸者衆にとっては、最高のお客様だったはず。


お金は天下の回り物。僕は実感として持っている。


お金以外の物差しをもって人と接すれば接するほど、お金に翻弄されるようになる。

そして、志を高く持てば持つほど、お金は後回しになる。

こうして生き延びてることさえ奇跡に思える。


もうダメだという時には、不思議にお金が回ってくるのだ。


最近の若手はせっせと貯金しているのだそうだ。

30歳の男の平均で400万弱だったかな。

凄い。尊敬する。僕には出来ないことだ。

月に1千万稼ぐ能力は有るけど、400万貯める能力は無い。


お金に困ったときには、別の引き出しを開ける。

そこにはお金では無い別の物が入っているのだが、それが結構なお金に化けるのだよ。

その物とは、日々の生活のなかでばら撒いた、見栄や男らしさや遊び心や優しさみたいなものの残骸。

形がないからそれが本当にあるのかさえ疑わしいが、確かにある。

それを必要とする人がお金にしてくれるのだ。


お金があるときに貯めとけば良いのにと人は言う。


たらればなど人生には有り得ない。

結局、こういう生き方しか出来ないのだよ。


わかる人にはわかるが、わからない人には一生わからない。

(しーちゃん、君は若いのにわかり過ぎだが。)


おはらしょうすけ様、

きっとあなたは、神に祝福された人だったに違いない。

(いや、そう思いたい。)