彼女の死について日本医師会はその医師を免責した。
ろくに診察をせず、規定量を超える多量の向精神薬を処方していたにも関わらず。
医療の最低限のルールを守らないものの責任を追及できないのは何故だ。
安易に薬を出すことが、心療内科の慣習として許されているからなのか。
医療の原理原則を守れないものに医師をやる資格はない。
医療崩壊が叫ばれている。
医者が足りないと。
医者の数が減ったのではない。真面目に働く医者が減ったのだ。
設備投資がいらず、簡単に開業可能な心療内科の医者は激増している。
医者嫌いの僕が入院することによって得た新しい認識は次のようなものだ。
・大多数の医者は真面目にやっている。
・インフォームドコンセントは度を越すほどキチンと守られている。
(これは最先端の現場であればあるほど守られている。)
・ほんとに人を救うことの出来る医者、必要な医者がドンドン減っている。
ある脳外科医に心療内科との裁判の話をした。
彼もやはり、救急の現場に立つ第一線の臨床医だ。
47歳だが、後を継ぐものがいないので、現場を離れることが出来ないのだそうだ。
彼曰く、あの分野は、まだ世間の荒波にさらされていない。
裁判の嵐が起きるぐらいのことがないと変わらないと。
歴史のある他の科は、既に経験していることだと。
2ヶ月やって改善しない治療は、別の方法を考えるのが常識。
裁判は、ドンドンやってくれと言ってくれた。
真面目な医療現場を知れば知るほど、町の心療内科のいい加減さが良くわかる。
心療内科の医師たちは僕の質問には何も答えていない。
・診断の根拠は何?
・客観的な検査は無いのか?
・何を根拠にこの薬を出したのか?
・なぜ依存性のある薬を長期に渡り処方するのか?
僕に言わせれば、本屋で売ってる心理テスト本と彼らの診察は何も変わらない。
質問に答えられない彼らが唯一できるのは、
「私は、心の専門家だ。素人は黙ってろ。」
と開き直ることだけだ。
日本医師会の結果を聞いて、憤慨しているところに色々な情報が集まってきた。
慣習によって薬事法、医師法を破ることは、原理原則として許されないとの最高裁の判決が10年前に出ている。無診察での外来報酬の請求は詐欺にあたることなど。
同じ様な処方されて、不自然な死に方をした例は山のようにあるはず。
僕と同じ様に、自分の力の無さを嘆き、後悔の念にさいなまれている人は沢山いるだろう。
そして、専門家でも治せない病気に罹っていたのだと納得させられてはいないだろうか。
治らないからとドンドン依存性の強い薬が出され、副作用によって病気が悪化したのでは無いですか?
通院始めたときより、症状が増えていないだろうか?
もう一度角度を変えて再考してみて欲しい。
診察した医者が、専門家を名乗る無能なものだと仮定して。
彼らの言い訳はこうだ。
・心の病は難しい。
・治療しなければもっと悪化したはずだ。
そして根拠を見せろといえば、
・私は専門家だ。
こんなのは医療では無い。
一緒くたにされる他の医師達に失礼だ。
(心療内科の中にも、血液検査ををしたり脳波を検査する真面目なところも増えてきたことも記述しておく。)
僕のこの裁判の目的は、他の真面目に医療に取組む医師が守っている最低限のルールを町の心療内科にも守らせるだけのことだ。
裁判で勝っても、そもそものいい加減な診察を止めさせられるわけではない。
診察をせずに薬を出すな。
規定の量を守れ。
診察をしていないのに診察報酬をとるな。
こんな簡単なことを守らせるだけの為に、裁判までやらなければならないのだ。
彼女の死と薬(自分の処方した薬)は関係が無いと主張するのだろう。
なら、なぜ彼女が死んだのか理由が見当たらない。
自宅で亡くなったため、警察が介入した。彼女は多量の薬が処方されていたことがわかると警察は手を引いた。
警察は薬の事故で死んだと判断したのだ。
原理原則を守らずに処方された薬で彼女は命を落としたのだ。
最大の過失は夫たる僕にあるが、医師の過失も明らかだ。無実にする方が難しい。
なぜなら、彼は専門家なのだから。
専門家といって言い逃れをし、最後は専門家だから過失を問われるのだ。
医療によって彼女は死んだ。かたや、僕は、医療によって命を拾った。
僕の仕事は明白ではないか!?
この裁判がきっかけとなり、同じ経験を持つ人達がそこに気づけば良い。沢山の裁判が行われればよいのだ。
それを経て初めて、マトモな医療の仲間入りが許される。
これは、真面目に働く医師達の為でもある。