朝、母から電話。


義理の兄が入院したとの知らせ。

甥っ子、姪っ子も病院に行ったとのこと。

「もうダメかもしれん。」

と母は言う。


40℃近い熱が出て、半ば強引に姉が病院に連れていったとのこと。

義理の兄は、病院に行くのを嫌がったらしい。

何かを感じているのかと邪推してしまう。


「あんたは、気をつけてよ。」


「僕の方は、もうこれ以上ないと思うよ。」

僕は、根拠は無いが、確信をもってそう云った。


電話でそこまで冷静に話していた母が、

「もう不幸はいやじゃ・・・」と云い掛けてあとは言葉にならなかった。

色んな思いが一気に溢れ出たのだ。

決して人様に迷惑を掛けて生きてきた訳ではない。

なぜ、こんなにも試練を与えられるのか理由がわからない。

もちろん世界には、母や僕よりも辛い人生を生きた人は沢山いるだろう。

国や時代が違えば、幸せの部類に入るのかもしれない。

だが、行くものではなくて、残って見送るものに悲しみは宿る。

送った分だけ悲しみはつのる。


母は今の北朝鮮の南浦という場所で生まれた。

父親は、専売公社に勤めるエリートだ。

10歳の時に腸チフスに罹る。今なら死ぬ病気ではないが、当時は死に至る病気だった。

運命は残酷だ。

腸チフスに命を奪われたのは、当人ではなくて、看病をした母の母だったのだ。

そこから始まり、母は、その人生の中で、一体どれだけ見送って来たのだろう。

身内で、生きてる人間の方が圧倒的に少ない。

実は、姉夫婦には、もう一人子供がいた。

最初の子供。2週間だけ生きて、天に召された。

もう既に、息子は妻を亡くし、娘は子供を亡くしている。


母にとって、希望は、2人の孫の存在だ。


最大の親不孝者の僕には子供は居ない。

僕にとっても希望だ。

未来に続く可能性を持つ、唯一の存在は甥っ子と姪っ子だ。

姪っ子は、生まれながらにしてハンデを持っていた。

彼女は、両親の影の努力のおかげで命を繋いだ。

そのことを本人達は知らない。両親と僕だけが知る秘密。

悲しみは深いが、皮肉にも家族の絆は強まった。


僕が、生死の狭間から生還した時に、甥っ子は僕にありがとうと云った。

大学生の甥は、とても立派に育った。

泣き言は言わぬ。

だが、彼にとっては、頼りになる数少ない大人だと思っていてくれることが、その言葉で理解できる。

今度の試練も切り抜けるはずだが、僕の存在が必要ならば力になろう。

それが生きながらえたものの役目だ。


昨年、亡くなった妻のおばあさまが、死ぬことは怖くないと云っていたのを思い出す。

老いて迎える死は、とても穏やかだった。

ギルバートオサリバンのAlone Againという曲の歌詞に

At Sixty years old, God rest her Soul.

の一節がある。この曲の詩がとても好きだ。


魂の休息であらんことを切に願う。