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佃煮とあの戦国武将のただならぬ関係…!?6月29日は「佃煮の日」

2020.06.29 08:00 

 
 

6月29日は「佃煮の日」


 1646年6月29日、佃煮と縁のある東京の佃島に住吉神社が造営されたことにちなんで、2004年に全国調理食品工業協同組合が制定した。
 
 保存食として便利な佃煮の素材は豊富で、現在では佃煮の種類は100種類以上あるとも言われている。
 
佃煮とあの戦国武将のただならぬ関係とは…
 
日本人ならだれもが知っているおかず!物心ついた時から慣れ親しんでいるご飯のお供。そうです、佃煮です。お弁当にも、料亭のおかずにももってこいの佃煮。
今回はそんな、きっとみんな大好き!佃煮についてのお話です。実はあの戦国武将とただならぬ関係があったという話も…。さて、佃煮と密接な関係を持つ武将とは、一体…何川何康なのでしょうか…。

佃煮は昆布や小魚をお砂糖、しょうゆ…素敵なものをいっぱい!…で甘辛く煮詰めたお料理です。「佃煮」という名前の由来は地名が関係していて、江戸時代に佃島(現在の東京都中央区)が発祥の地です。400年以上その地に住んでいた漁民たちが東京湾で獲れた小魚を甘辛く煮て食べていたことが始まりなのだとか。
冷蔵庫もなかった当時、佃煮はご飯のお供にもなる、最強の保存食として重宝されていました。


佃島の漁民たちは元々関西出身でしたが、あの歴史的大事件と共に、彼らは江戸に移り住むことになるのです。
 
1582年本能寺で織田信長が倒された時、徳川家康は大阪の堺にいました。一報を耳にした家康は、信長の盟友である自分の命も危ないのでは…!?と直感。急いで三河の国へ帰ろうとしましたが、神崎川(現在の大阪市住吉区)で渡る船がなく立ち往生してしまいます。困った家康御一行を助けたのが、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁民たちでした。佃村の人々に大いに感謝した家康は、それ以来佃村の人々と結びつきを深めていったのでした。
 
 家康は幕府を開くときに、佃村の漁民を連れて江戸へと連れて行きました。家康は漁民たちに特別な漁業権を与えました。保存食として作られていた佃煮は美味しさでも有名になっていき、やがて江戸に勤めている大名たちの食膳にも上がり、たくさんの人々に愛されるようになっていきました。
 
 保存性の良さや、その美味しさから、佃煮は商品として売り出されるようになり、全国各地へと広がっていきました。
 
 普段なんとな~く口へはこんでいる佃煮も、調べてみると意外な歴史がありました。佃煮とただならぬ関係を持ったのはなんと、あの徳川家康だったのでした!皆さんの予想は当たりましたか?
もし今日のお弁当のおかずや明日の晩御飯などに佃煮があったら、家族やお友達にこんな話をしてみるのもいいですね。
 

桃屋

 

https://www.momoya.co.jp/recipe/detail/2018/

 

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