すべての生物が使っている細胞膜が「何十億年も進化していない」理由
更科功 2020.1.26 5:05
https://diamond.jp/articles/-/226814
生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、iPS細胞とは何か…。分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る『若い読者に贈る美しい生物学講義』が発刊。4刷、2万6000部とベストセラーになっている。
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細胞膜にはドアがある
細胞は生きている。生きているからには、細胞の中の環境を一定にしなくてはいけない。もしも、外界が変化するたびに、細胞内も同じように変化していては、生きていくことはできない。つまり細胞は、家のようなものだ。冬になればストーブをつけ、夏になればクーラーをつけて、家の中の温度を外界ほどは変化させないようにする。雨が降っても、雪が降っても、屋根や壁がそれらを防いでくれるので、家の中は晴れた日とほとんど変わらない。このように屋根や壁や、そして細胞膜は、外界に対して閉じていなくてはならない。
でも、細胞が生きていくには、栄養をとったり排せつ物を出したりすることも必要だ。
家だってそうだ。食べものを運び入れたり、ゴミを出したりしなければ、暮らしていけない。だから家には、屋根や壁だけでなく、ドアもある。普段は閉じているけれど、必要なときにはドアを開けて、ものを出し入れするのだ。細胞も家も外界に対して、開きっ放しでもダメだし、閉じっ放しでもダメなのだ。
細胞膜はリン脂質が二重になった膜(リン脂質二重層)だが、そこにはたくさんのタンパク質が刺さっている(実際には、タンパク質が直接刺さっているのではなく、タンパク質の周りを境界脂質がクッションのように取り巻いている)。実は、これらのタンパク質がドアで、リン脂質二重層が壁に当たる。
もっとも、壁といっても、細胞膜は何も通さないわけではない。通すものもあれば、通さないものもある。細胞膜は、表面は親水基でコーティングされているけれど、大部分は疎水基でできている。そのため、疎水性の物質は通りやすく、親水性の物質は通りにくい。
また、細胞膜を通りやすいかどうかは、電荷の有無にも関係している。通常の原子は、プラスの電荷を持つ陽子とマイナスの電荷を持つ電子の数が同じなので、原子全体としてはプラスとマイナスが打ち消し合って、電荷を持たない。
ところが、電子の数が少し増えたり、あるいは減ったりすることがある。そうすると全体としては、プラスかマイナスのどちらかの電荷を持つようになる。このような電荷を持つ原子のことをイオンという。
このイオンは水に溶けやすく、ほとんど細胞膜を通らない。しかし、イオンは細胞が生きていくうえで、重要な働きをしている。そのため、外界とイオンのやりとりをするときには、ドアを使うことになる。
物質ではなく情報を運ぶ受容体
ドアの働きをするのは膜に刺さったタンパク質で、膜タンパク質と呼ばれる。膜タンパク質には、いろいろなものがあるが、その1つにポンプがある。すべての生物は、エネルギー源としてアデノシン三リン酸(ATP)という分子を使っている。ポンプはATPと結合してエネルギーをもらい、そのエネルギーを使って強制的にイオンを輸送する(能動輸送という)。
たとえばナトリウムポンプ(ナトリウム−カリウムATPアーゼともいう)という膜タンパク質は、ATP一分子のエネルギーを使って、ナトリウムイオン三分子を細胞内から細胞外へ輸送し、カリウムイオン二分子を細胞外から細胞内へ輸送する。
また、チャネルという膜タンパク質もある。チャネルはATPと結合しないので、エネルギーは使わない。蓋ふたを閉じたときはイオンを通さないが、蓋を開けたときはイオンのただの通り道になる。イオンはどちら向きにも流れることができるが、実際にはチャネルの外側の環境によって、流れる向きが決まる。
つまり、イオン濃度の高い方から低い方へと流れることになる(受動輸送という)。ナトリウムイオンを通すナトリウムチャネルやカリウムイオンを通すカリウムチャネルなどがある。
さらに、物質ではなく情報を運ぶ、受容体(レセプターともいう)と呼ばれる膜タンパク質もある。まず、受容体の細胞外に出ている部分に、物質が結合する。この、受容体に結合する物質をリガンドという。リガンドが結合した受容体は、構造が変化する。その結果、受容体の細胞内に出ている部分も、構造が変化する。その構造変化がシグナルとなって、何らかの情報を細胞内に伝えるのである。
たとえば、EGFR(上皮成長因子受容体)という受容体がある。EGF(上皮成長因子)というタンパク質のリガンドが、EGFRの細胞外に出ている部分に結合すると、反対側のEGFRの細胞内に出ている部分に、リン酸基(H2PO4−)が付加されてリン酸化される。
これが最初のシグナルとなり、それから細胞内で順々にシグナルが伝達され、最終的には核内にシグナルが伝えられて、細胞分裂が起きるのである。
細胞膜は何十億年も進化していない
これまで述べてきたように、細胞膜は、化学反応のかたまりである生物と外界を、水の中で仕切るためにぴったりの膜である。しかも、細胞が生きていくためにいろいろなドアをつけることもできる、非常に便利な膜でもある。これだけでも、生物が仕切りとして細胞膜を使っている理由は、十分納得できる。しかし、どうもこれだけではなさそうなのだ。
細胞膜に関しては、不思議なことがある。それは、細胞膜が何十億年ものあいだ、ほとんど進化していないことだ。その根拠は、現在地球にすんでいるすべての生物が、細胞膜としてリン脂質二重層を使っていることだ。つまり、現在のすべての生物の共通祖先が生きていた遥はるかな昔から、基本構造が変わっていないのだ。リン脂質二重層には、よほどよいことがあるとしか考えられない。
ちなみに、実は細胞膜の一部に、リン脂質二重層を使っていない例もある。たとえば、植物細胞では、リン脂質の代わりに糖脂質を使うことがある(糖脂質とは名前の通り、糖を含んだ脂質である)。理由はよくわからないが、リンが手に入りにくい環境の場合は、糖脂質を使えばリンの節約になるのではないか、という意見もある。
また、アーキアという細菌に似た生物の一部では、2つのリン脂質を肢の先端でつなげた構造のテトラエーテル型脂質を使っている。だから、この部分だけは、脂質一重層になっているのである。
この脂質一重層は、海底の熱水噴出孔のような高温環境への適応だと説明されることもある。高温になるとリン脂質の熱運動が激しくなり、リン脂質同士をつなげているファンデルワールス力を上回ってしまう。そのため、二つの層のリン脂質同士を、強い共有結合でつなげてしまったテトラエーテル型脂質を使うようになった、というのである。
とはいえ、高温環境にいないアーキアの中にも、テトラエーテル型脂質を持つものがいるので、はっきりとした理由はまだわからない。しかし、このテトラエーテル型脂質を持つ細胞膜であっても、大部分は通常の脂質二重層だ。
脂質二重層の一部が脂質一重層になっているだけだ。だから、膜全体の性質は、通常の脂質二重層とほとんど変わらないだろう。
このように、すべての生物が、ほぼすべての細胞膜に、リン脂質を使っている。生物はいろいろなところにすんでいるのだから、そこの環境に適応したいろいろな細胞膜が進化したってよさそうなものだ。それなのに生物は、かたくなにリン脂質二重層を細胞膜として使っている。
生物を外界と仕切りながら物質の出入りもある、いわば閉じつつ開いている膜としては、リン脂質二重層はぴったりなのだろう。リン脂質二重層は、生命活動になくてはならない土台なのである。
(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)
最終の4Pは略