小学校に病弱の支援級という最高の形で進学できることが決まり、今は週1だけ利用していた児童発達支援はこの3月で卒業することにした。




長女2歳の春。


早めに幼稚園を探し始めたものの見つからず、市内の児童発達支援を探したもののしっくり合うところに出会えず。

最後に1箇所だけ見てみようと電話をしたのが隣の市にあるこの児発だった。


医療的ケア児を受け入れるのが初めてということで最初は本人の体力を見つつ探り探り進めてくれた。

しばらくしたら “すべておまかせ!” って感じで任せられる頼もしさ。


年少での幼稚園入園が叶わなかった長女。

もう諦めていた。しかし、児発のみなさんが「長女ちゃんが幼稚園、保育園に入れないのはおかしい!」と市内すべての幼稚園、保育園にアンケートをとってくれ、入園の可能性がありそうだと連絡を取ってくれた園が今通ってる保育園である。


園長がわざわざ児発まで長女を見に来てくれ、「この子がはじかれなきゃならない理由がわからない。」

と言ってくれた。


しかしそこは保育園。

市には障害児枠がない。

なんとか医療的ケア児が入園できる制度が作れないか、と県議や市議に掛け合ってくれたのもこの児発。

園長、児発、県議、市議、相談支援専門員、親と集まって保育園で会議をした。

その時は結局、制度が作れず、母がなんとか仕事を見つけることで健常児と同じく点数をクリアして入園した。


保育園側も聴覚障害やダウン症の子は受け入れたことはあるけれど、医療的ケア児は初めてだという。

先生方も不安な思いはありつつ、それでも受け入れてくれた。


障害児を受け入れると市から保育園へ補助金がでる。

しかしたった月7万円。

こんな金額で新しい職員を雇ったり、看護師を雇うことができるはずがない。

増える負担に見合った金額では到底無い。

園長先生はじめほかの先生、もとから働いてくれていた看護師さんのがんばりで成り立っているのである。


次の年にはたん吸引が必要な子も入園。

来年には経鼻栄養の子も入園予定だそう。

市内でも唯一の貴重な保育園である。

と共に、市も、この保育園に頼ることなく受け入れ先を増やしてほしい限りだ。




幼稚園を探し始めた時から約5年。


保育園卒園を1つの区切りとしてまたみんなで集まりましょう、と児発から働きかけてくれた。


県議は来れなかったが、前回のメンバーに加え、市の障害者福祉課からも係長と地区担当が参加してくれた。


長女の入園までの経緯

現状の市の問題点

障害児を抱えながら仕事を探す困難さ

障害児や医療的ケア児の受け入れ先の少なさ

などなど書き切れないほどざっくばらんにみんなで話した。


市の職員も「本当に貴重な生の話が聞けた」と言ってくれた。

私達の市では自立支援協議会が発足し、医療的ケア児の受け入れに向けて色々動いているらしい。


5年前は市役所に行っても「自分で電話して」「わかりません」しか言われなかった。

それが今や医療的ケア児支援法が施行され、埼玉県にも医療的ケア児等支援センターができた。


私達に限らず、全国いろんな所でみんなが頑張って蒔いた種がこうして制度として形になり育ち始めている。


まだまだこれから。


いつか


なるべく早く


ハンデを持った人がいても何の障害もなく暮らしていける社会になってほしい。