サザンの桑田佳祐さんは彼が国民栄誉賞を受賞したことと、自身が男子校出身で、女の子にモテたくて青山学院大学に入学したもの、もがいていたときに行き付けの喫茶店で引退試合を見て大泣きしたことが人生の転機となって「栄光の男」という名曲が生まれた。
ワタクシの場合、桑田佳祐さんとは長嶋茂雄という人の見方が違っていた。
それは平成3年に行われた世界陸上東京大会の東京大会の開会式のテレビ中継で事件が起きた。
当時21歳のワタクシは大江千里さんのお嫁さんになりたいバカな女子だった。
反面当時勤務していた大手菓子メーカーの仕事もいらいら状態で働いていた。
開会式の翌日は土日休みでルンルンだった。
開会式は大雨の中で行われ、スタンドはがらがらだった。
それも音楽が天下の坂本龍一なのに…。
開会式の進行を徳光和夫さんと宮沢りえちゃんと長嶋茂雄さんが担当していたんだけど、長嶋さんがひとりで喋りまくって、それを見た父が激おこ!!
ワタクシはそれを見て「別に怒ることじゃないのに…。」と思っていましたが、長嶋さんの独特のレポートがギャグとなり、4コママンガのネタになっていました。(それも「クイズ100人に聞きましたのパロディで。」)
当時カール・ルイス選手が100メートル走で世界記録を出したのは知っていても「ヘイ・カール!!」は知りませんでした。
後に会員になっていたスポーツクラブのラウンジで読んでいた「Number」という雑誌の読者コーナーで父が激おこした理由が解りました。
それは男子100メートル走の後でレポーターをしていた長嶋さんがカール・ルイス選手に「ヘイ・カール!!」と呼んだのを見たご婦人が「がっかりした」というのが掲載されていました。
桑田さんは昭和31年2月生まれで、ワタクシは昭和45年7月生まれで長嶋茂雄という人の見方が違うのは当然である。
野球の人気も大相撲の若貴兄弟やF1(職場でパドックパスが買える権利がありました。)や平成5年から始まるサッカーのJリーグスタートで低迷する一方でした。
長嶋茂雄さんが巨人の監督に復帰したのは翌年のシーズンオフで、ドラフト会議で星稜高校の松井秀喜選手を指名した。
その頃から週刊ベースボールの読者コーナー「ボールパーク共和国」にせっせとネタを送り、初めて採用されたのが中日の最下位とさんましのぶ離婚といういかにもなネタでした。
その後何回かネタが載るようになり、長嶋監督ネタも関連を含めると10回ほどあった。
1・もしものネタで代走にカール・ルイスを使う。
2・掲示板のネタで平成5年の世界陸上で惨敗したカール・ルイスに自分が面倒を見る。
世界陸上は平成9年から日本テレビからTBSになり、34年ぶりの東京大会も担当です。
総合司会(メインキャスター)が元フジテレビアナの中井美穂さんと俳優の織田裕二さんになりました。
平成3年の大会での長嶋監督のインパクトが強すぎて、掲示板ネタで「世界陸上の総合司会はこのワタシです!!」と書いたのが採用されました。
栄光の男もワタクシに取ってはカール・ルイス呼び捨ておじさんでした。
あとミスター・ビーン呼ばわりしたことも(笑)。
平成12年の巨人日本一のときは「音楽寅さん」で桑田さんはジョン・レノンの「平和を我等に」の替え歌で巨人を皮肉る歌をやっていました。(それも超巨人ファンの松田弘さんもメンバーで。)
オチは「松井は好きだ!!」
平成16年に長嶋さんが脳の病気になってからは介護職(只今休&求職中)として心配していました。
元阪神の糸井嘉男さんのことを超人と言っている人がいますが、長嶋さんは超人過ぎた人です。
本音を言うと9月に行われる世界陸上東京大会でカール・ルイスさんに会って欲しかったです。
長嶋さんの栄光と伝説は神話になりました。
ご冥福をお祈りします。

