推し活なんて下手すると人生狂わせてしまいますよパート5。 | スーパーももちゃんはミスうちゅうかん。

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サザンファンの介護職員のおバカ&まじめ話満載のブログです。
オリックスの糸井嘉男選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。令和2年5月12日よりHNを元に戻しました。

新潟の母の実家行きの準備が全然出来ていない状態でのパート5です。


年末の帰省ラッシュで混雑している名古屋からこだまのグリーン車(それしか取れなかった。)に乗って新横浜に行きました。


新横浜到着後、ホテルに荷物預けてからJRで関内に向かって原さんの実家の天吉で天丼食べて、関内から横浜経由で川崎に行って川崎大師参拝後に右往左往しながら川崎から新横浜に戻りました。


夢にまで見た横浜アリーナに到着したときは言葉が出ませんでした。


それも席がセンター席でした。


桑田さんが紫綬褒章を頂いた後のライブでその日は安倍晋三夫妻も来ていました。


また横アリに行こうと思って岐阜に戻りましたが、紅白での事件が…。


年越しライブで春からのツアーが発表されました。


年越しライブのチケットが取れたので「今度のツアーは簡単に取れる」と思ったらドームでも取れない問題発生。


私は取れたのですが、中にはファンクラブの2次でも取れなかったという…。


私の知り合いに当落メール発送日に身体が動かなくなり、ドクターストップがかかってライブに行けなくなりました。


私はナゴヤドーム公演に行きましたが、帰りに満員のナゴヤドーム前矢田駅に行く階段の手前で転びそうになりました。


たぶん規制退場がなかったことが一番の原因だと思いますが、今でもトラウマです。


日本武道館公演はチケットが取れませんでした。


翌年の桑田さんの年越しライブは介護職員の手当が多かったのでスケジュールと前より良いホテルを予約してあとはチケットが取れるだけでしたが…。


ファンクラブもローチケの先行も外れて大ショックでした。


そのお金で年明けに東京に住むいとことディズニーランドに行くことになりました。


出発4日前に母が鼻血で倒れ、何とか回復しました。


しかし、ディズニーランドでアナ雪のプロジェクションマッピングを撮ろうとスマホを取り出したときにヤフーのアプリがそのままで、そこでかかりつけの歯科医院の先生が診察トラブルで刺殺されたことを知ってしまいました。


岐阜に戻った2日後に診察があった私はショックを抱えたまま岐阜に戻りました。


鼻血で倒れた母も検査をしているうちに大腸に異常があることが解り、5月に内視鏡検査を受けたところ大腸がんが見つかり、岐阜大学病院でステージ4であることが解りました。


母が退院した時は家でおかずを作れるほど回復していたのと転移した肺と肝臓のがんも消えていて手術の必要がなかったのでレベッカと桑田さんのソロライブのナゴヤドーム公演には行けました。


ただし、母のことがあるので17時スタート公演でした。


サザンもデビュー40周年なので前回同様にスタジアム公演だったらどうしようと思ったらNHKホールと夏フェスとAAAのひとり紅白だけでした。


6月に消えたはずの母のがんが再発していました。


その頃に結婚して7年子供に恵まれなかった弟夫婦に子供が出来たことが解り、その子のために母は必死にがんと戦っていました。


翌年の1月19日に姪が産まれても寒いのと病気の影響で産院には行けませんでした。


元旦にサザンの40周年ライブの日程が発表され、チケットが紙屑になる覚悟でエントリーし、当選しました。


姪が産まれたあとで母のがんマーカーが上がってしまいましたが、脂肪だったという。


年号も令和になり、2年が限界と言われていた母もそれを乗り越えることが出来ました。


6月にナゴヤドームでサザンの40周年ライブを東京のいとこと見に行き、翌日に東山動植物園に行きました。


ライブの喜びもつかの間、翌月の遅番勤務中に気分が悪くなって嘔吐し、耳鼻科で診て貰ったらメニエール病であることが解りました。


母も8月に胆石の手術をしました。


異常に暑い夏でした。


来年は東京オリパランピックの後に東京に行くことと近場なら大丈夫と翌年の3月に大江千里さんのジャズライブを見に行こうと思ったら母の身体に限界が来てしまいました。


12月も無理して大掃除をやっていたら体調を崩し、ダウンしてしまいました。


母の体調で大変なのにコロナウイルスのせいで自由のない生活を強いられました。


ライブも配信がメインになりました。


いつ自由な生活に戻れるかという不安を抱えて毎日をすごしていました。


そんな中で契約社員だった私は夜勤をやるようになった1年数ヶ月後に正社員として勤務出来るようになりました。


それを一番喜んでいたのが母でした。


クリスマスを目前とした12月の半ばに母は緩和ケアに入ることになりました。


本人はそれでも前向きでした。


お正月も元気に過ごせました。


何とか家事炊事も出来た母が急変したのは2月でした。


病院も行けないので訪問看護のナースさんが来ました。


3月に入ってから寝たきりになり、歩行も困難でトイレも行けなくなり、おむつをすることになりました。


3月17日に母は75歳の誕生日1か月前に亡くなりました。


母の介護を巡って父と揉めたので、初七日法要が終わってからお風呂も入らずに寝てしまいました。


母の死後1か月も経たずにおば(父の義妹)が亡くなりました。


父も私も悲しむ間もなく毎日をすごしていました。


1年遅れの東京オリンピックが終わり、夜勤をしていた私は桑田さんのソロライブ開催をSNSで知りました。


介護職という立場上県外に出れない私は心がポキンと折れました。


母の死後半年が経ち、秋分の日が過ぎてから激しい胃の痛みが出るようになりました。


仕事が終わってから系列のクリニックで診て貰ったら先生が厳しい顔で「胃の内視鏡検査を受けてください。紹介状を書きますから。」と言われてしまいました。


更に子宮も激しく痛みだし、かかりつけの産婦人科の先生から厳しい顔で「長良医療センターでMRI検査です。」と言われました。


胃の内視鏡検査で十二指腸潰瘍とMRI検査では子宮だと思ったら椎間板ヘルニアでした。


母の死のショックから抜けきれないのとライブに行けないイライラが身体に出ました。


大晦日の夜勤は38度近い熱が出て、寝ながらの仕事でした。


年中無休で診察しているクリニックで点滴を受け、検査も異常なしでした。


母の一周忌が終わり、3回ワクチン接種とコロナも落ち着いたので岐阜県内はあちこち行けるようになりました。


3年ぶりに木曽三川公園のチューリップ祭りに行った私は工事現場の落書きコーナーにこう書きました。「桑田佳祐さんと松田聖子ちゃんのライブに行きたい。新潟か東京に行きたい。」


お風呂のリフォームでお風呂に入れないので高山と下呂温泉に行っても心の中はライブに行きたいという気持ちでいっぱいでした。


夏は更年期障害の影響で体調を崩し、ヘルニアの悪化でブロック注射をしないと治らない状態でした。


10月の半ばにお世話になっているお寺で開催されたフリーマーケットのイベントに行き、看板ふくろうのいる喫茶店でのランチ後、帰宅しようと運転していたら車のインパネに警告ランプが点灯し、いつ車が止まるか解らない恐怖とお金の不安を抱えながらディーラーに行ったところ衝撃の発言をされました。


「修理しても保証出来ません。」


ディーラーで見積もりを出して貰い、父と相談し、翌日も休みだったのでディーラーに行って買い替え手続きをしました。


10年前の納車1週間前に行った布袋寅泰さんのライブ前に年明けだったこともあり、熱田神宮でお守りを買ったことを思い出した私はこう決意しました。


感染と首になる覚悟でバンテリンドームナゴヤに行こうと。


9月に発表の時点でライブは来年のサザン45周年まで我慢の予定でした。


行かないと体調が余計悪くなると思い、ローチケの先行で撃沈覚悟でエントリーしたら当選でした。


次回は富山あるいは新潟で更新予定です。