昨日から平幹二朗さん、肝付兼太さん(8月に藤子F不二雄展を見に行ったらサインがありました)、CBCアナウンサーの日比英一氏と訃報続きで、今朝は80年代に熱狂したバンド「デッド・オア・アライヴ」のピート・パーンズがなくなるというニュースが・・・。
彼の場合女性になろうと整形したのが人生の転落の始まりだったとも・・・。あとイギリスより日本で大人気だったので本国では「あの人は今」状態だったという。
そんな中職場にあった週刊文春の阿川佐和子さんの対談コーナーが大江千里さんだったので少し読みましたが、20年前に会社をさぼり婚期まで逃してまで彼を追っかけた私にとって考えさせられる話でした。
父親が読売新聞の記者だったというのもここで初めて知りました。
関西学院大学4年(大江さんは1年浪人)だった昭和58年にデビューし、89年に男性ボーカリスト初の西武球場ライブを行い、その後95年まで夏は西武球場で2回、横浜スタジアムで4回、現在のQVCマリンフィールドで1回とスタジアムライブを行い、一時期はチケットが取れないこともありました。
私がファンクラブに入ったのもその時で、毎年コンサートに行っていました。
そんな彼がアメリカの音楽大学にジャズ留学を決めたのが07年の冬で、英会話の勉強と試験勉強をこっそりやり、47歳で大学に合格。08年から日本でのキャリアをすべて捨てて渡米。そんな彼を待っていたのは「ピアノが下手な日本人」というレッテルでした。
音楽大学でドラマーを目指す青年と鬼のように厳しい教授との戦いを描いた映画「セッション」より厳しい現実です。
どんなにヒット曲を出しても野球場でコンサートをやっても光GENJIに作った曲が大ヒットしてもアメリカでは認めてもらえませんでした。
努力をして教授や仲間から認めてもらい、大学を卒業する間際に52歳で全米デビューをします。
アメリカでの永住権(グリーンカード)を取得したときは経済的にも困窮していたといいます。
配信や過去のアルバムの再発売などで印税生活できてると思ったらこんな現実が・・・。
その後「シンガーソングライターの大江千里」から「ジャズピアニストの大江千里」となってあちこちで活躍し、毎年春のワシントンでの桜祭りでのライブの話はニュースにもなっているので彼の元気な姿が見れてうれしいです。
7月に大橋巨泉さんが亡くなりましたが、ジャズピアニスト大江千里をどう評していたか知りたかったです。
11月に名古屋のブルーノートでジャズライブを開催しますが、お金があれば見に行きたかったです。
個人的発言ですが、桑田さんと大江さんの共演が見たいです。
私は来年大江さんがアメリカ行きを決めたという47歳になりますが、2度のケアマネ試験が不合格で、何もできないままでいます。
私は大江さんはどちらかというと「嫌い」でしたが、明石家さんまさんがきっかけで見方が変わり、大ファンになりました。彼以外にも大竹しのぶさんも見方が変わりました。
一番面白かったのは「さんまのまんま」に出演してお酒を飲んで大泥酔してかまへんライダーのコントでやってさんまさんの大失笑をかった草津節を泥酔したまま歌って大顰蹙を買った姿です。
この前のしくじり先生で野沢直子さんが何も考えずにアメリカに行って、過激なコントをやってドン引きさせたというエピソードがあったように日本人がアメリカで成功するのは難しい。
今の世の中は格差社会になってきて、なんとかカーストと言う言葉に振り回されて自分を見失いがちです。そんな中で見た大江さんの話に自分を見つめなおすヒントがあったような気がします。