30歳の頃に買った喪服をいまだに着ている。

 

54歳の今、さすがに次回は買い替えようと思った。

これからは、少しずつ出番が増えるのかもしれない。

 

5年ぶりに喪服を着ることになった。

友達のダンナさんが急逝して。

 

前回は、義理の母のお葬式。

 

久しぶりに喪服と黒いパンプスを身に着ける。

おや?

よくある膝丈のワンピース型だけど、

少し短すぎやしないか?

でも、買い替えるなら、長く使えるものをじっくり探したい。

今回は、これでしのぐことにした。

 

一緒に参列した知人はちょうど一回り上の方で

ふんわりしたパンツスーツだった。

そうか、だんだん足を隠すようになるのが

世の常なんだろう。

 

友人のダンナさんは、まだ56歳だった。

大動脈解離で

ある晩、夕ご飯を食べた後

突然、背中が痛くなり、救急搬送。

明け方には、お亡くなりになったのだという。

 

お棺の中のお顔、まるで蝋人形のよう。

お葬式で、いつもそう思う。

生きた御本人は、どこか別のところにいるんじゃないの?

 

わたしの大好きな、かっぱ子も、かっぱ太郎も

死んだら、蝋人形みたいになるんだろうか?

そしたら

こんなの、わたしの子じゃない!

わたしの子はどこへ行ったの?!

って、なる。

 

友人のダンナさんに、ひとつ、またひとつ

白い花がかぶせられていく。

参列者の手で、花にうずめられる。

そして、大きな蓋がのせられた。

棺の中は、きっととても、暗いんだろう。

 

こっちの世界とあっちの世界。

隔てる一枚の板。

 

そして、生きているわたしたちは、解散する。

それぞれの生活に帰っていく。

いい、お式だったね、なんて言いながら

帰りにアイスティーを飲む。

 

お葬式の帰り、それが必要なんだと思う。

生きている人間には。

わたしたちの体と魂は、まだ生きている

と、実感すること。

こっち側の世界なのだと。

いつかは、まちがいなくあっち側に行くし、

それは、まるでダーツに当たるかのように

今日か明日にも、自分に起きてもなんら不思議はない。

 

きっと、魂の世界には

今はこの世にいない魂がひしめきあっているにちがいない。

これから生まれる魂と、もう亡くなった魂たち。

そのほんの一隅に、「今この世に生きている魂」が光を浴びている。

稀有なのである。

体も魂も持っていられるということは。

 

夜、はらぺこくんが恋庭にメッセージをくれた。

彼は今、仕事で数日、遠くの島に行っている。

 

でも、何百キロもの距離を超えて、

彼の言葉が届く。

はらぺこくんは、生きているから。

 

何年もの間、こうやって言葉を送り続けてくれた。

なんて「有り難い」んだろう。

こういうときは、柄にもなく

神妙な気分になって、月並みなことを思ってしまう。

 

命の深淵。
隣り合わせにある深みをのぞきこんで、足がすくんだ気がした。
でも、これからは、その深みにじわじわと
慣れる機会が増えるのかもしれない。
 

5年前には平気だったヒールの黒いパンプスで

足が痛くなってしまった。

 

これから先、長く使えそうな

丈の長い喪服と、痛くならない靴を買おうかな。

 

帰りがけに、近くのお店で

喪服姿で、喪服売り場を見るのを楽しんでしまった。

わたしはまだ生きているから。

 

(おしまい)