こんばんは。

45歳からの恋愛をつづるかっぱですが、

ここのところ、前の結婚が通ってきた道を振り返っています。

 

元夫との経緯①

元夫との経緯②

元夫との経緯③

 

お互いに、

子ども時代にもらいそこなったものを

補い合うように、深く結びついていた私と夫。

 

夫婦カウンセリングの中で

そのことに気づかされたのでした。

 

※心の病の方、そのご家族の方がごらんになって

 気分を悪くされましたら申し訳ありません。

 個々のご家庭によって事情はそれぞれで

 あくまでもこれは、私のケースになります。

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今思えば、

あの夫婦カウンセリングが

私たちの関係を修復する最後のチャンスだったのかもしれない。

 

セッション中に、堰を切ったように泣いてから、

私の中で何かが変わった。

 

それまで、

病気ですっかり変わってしまった夫に

私は怒りを感じていた。

もっと、しっかりしてよ、前みたいになってよ、と。

 

でも、

私がどうして彼を好きになったのか、

私たちがなぜあんなにも惹かれあったのか、

その、からくりが見えてからは

すーっと、怒りは消えていった。

 

そこには、

深い感謝と、荒涼とした悲しみの風景が広がっていた。

 

 

「奥さんは、あのときを機に、変わられましたね」

 

ある日、カウンセラーさんが言った。

 

「次はダンナさんの番ですね」

 

ところが、

ちょうどその頃から、夫はカウンセリングをすっぽかすようになった。

 

時間にカウンセリングルームへ行っても、

待てど暮らせど来ない。

電話も連絡がつかない。

 

後になって

「体調が悪くて寝込んでいた」というのが常だった。

 

カウンセラーさんと私は、何度も待ちぼうけを食らい、

やがて、夫婦カウンセリングは、自然消滅してしまう。

 

それは、彼の防衛本能だったのだと、今は思う。

彼が立ち直るためには、

自分の弱さと向きあって、変わっていく必要があった。

 

けれど、

それは、とてもしんどい作業に違いなく、

夫はそれだけの強さを持ち合わせてなかった。

 

 

別居の期間は、1年、また1年、と流れていった。

別居時、1歳と4歳だった子どもたちも

すくすくと成長していった。

 

夫は、時々、我が家へ遊びに来たり、

休みには1泊くらいで家族旅行へ行ったりもしていた。

 

でも、私たちは、すっかり、母子3人の生活に慣れてしまった。

子どもが盲腸で入院したり、転んで頭を切ったり、

東日本大震災で、室内が壊滅状態になったり(我が家は高層階なので)

いろいろなことが降りかかったけれど

私は、夫の力を一切借りずに、すべて乗り切る術を身につけてしまった。

「助けて」と、どんなに声をあげても

「病気で動けない」と、力ない返事が返ってくるだけだったから。

 

 

それから

子育ての方針をめぐって、

私たちは激しく対立するようにもなった。

 

それは、当たり前の帰結で。

 

父性が極端に強い家庭で育った私と

母性が極端に強い家庭で育った夫。

 

両極端の磁石のような私たちだから

歩み寄って、ちょうどいい塩梅に落ち着かせるのは、簡単ではなかった。

 

「お前は、お前のお母さんにそっくりだ。

お前の言うとおりに育てたら

子どもたちがお前みたいな失敗作になる。」

 

彼は、私の子育てを批判した。

 

私は私で、

子どもが夫みたいにならないように、

世間で生きていく強さを身につけさせねば、と強く思っていた。

 

子育ては、お互いの文化のぶつかり合いだ。

私は、自分が嫌だと思っていた、

自分の家の「イズム」を

否応なく背負っていることを思い知った。

 

 

別居もかなりの年数がたった頃、

私は、彼が我が家にいると、

招かざる客が来ているようで、イライラするようになっていた。

 

 

私は、もう、彼を愛していない。

 

彼も、私を愛していない。

 

ただ、執着しているだけだ。

 

そう思ったら、

「純愛至上主義」の私は、

「夫婦」という形をとっていることが耐えがたくなってきた。

愛のない結婚なんて、私は絶対、我慢できない!

 

 

「離婚するほうがいい」

と、私は言うようになった。

 

でも、それは、私からの理屈にすぎなかったろう。

病気の夫にしてみれば

会社からも友人からも隔絶された世界で生きていて

私と子どもだけが、最後の居場所だったにちがいない。

(彼の両親は、健在ではなかった)

 

けれど、私は

自分を殺してこの先、何十年も生きるなんて

本当に、心が死んでしまいそうに思えた。

 

「離婚」と私が言うと、

彼は、自殺をほのめかすようになった。

 

それを出されたら、何も言えなくなる。

 

そんな時間が何年も流れていく中、

彼の4度目くらいの復職の際、

私は心に誓った。

 

「これでまた彼が休職に入ってしまったら、

今度こそ、何と言われようと離婚しよう」と。

 

つづく (タイトルとまだあまり関係ない内容ですが、次でつながる予定)