今日、お散歩していて
ふと足元に見つけた防水栓。
コンクリートの地面と
壁の隙間から
ものすごい生命力を
こっそりと着実に爆発させていた
野花や葉が天然のフレームとなって
防水栓をアーティスティックに
飾っていて
思わず写真を撮っちゃった。
こういうのを見ると
いつも、思う。
ズルイ。
最大の賛美だよ(笑)
例えば店の看板を
フェイクの蔦などで
飾っているところもあるし
写真や絵を飾ることもある…
私も以前曼陀羅にハマった頃に
自分の作品をグリーンで
囲んで見たことがあるけれど
天然のものを見てしまうと
その違いに愕然としちゃう。
いやー、美しいわ!
かっこいいわ!!
なんで、自然の形に
人工の形は勝てないのか。
私なりの考えでは、
やっぱり
そこに意図があるかないか
だと思うんだなぁ。
もくは、必然か、こじつけか。
葉っぱや花が広がる時、
どこに配置しようとか
どうバランスを取ろうとか
もちろん考えないわけで。
だけど、必要な場所に
必然的に広がる。
太陽と水を求めて
生きるために伸びる。増える。
だからやみくもに増えもしなくて
そこに残るのは運命的な形のみ。
知ってるんだよね。
命の使い方を。
ニンゲンも、
すでに最初の細胞分裂の瞬間に
脳の発達の最終形が
決まっていると言われる。
(仮面心理学的解釈)
その途中の困難や
目まぐるしい変化すら
最終形へたどり着くための
必要なステップを踏んでいるだけ。
遅くとも23歳頃までには
最終形になっているのに
まー、30代40代
もがくよねー。
私はこんなんじゃないはず。
もっとできるはず。
ヒマワリなのにバラを目指し
ユリなのにスミレを演じ
いつまでも得られない達成感。
いやー、もう、
そこは、あきらめよう。
私たちニンゲンは今のところ
全員天然なはずなのよ。
遺伝子操作とかされてない。
最終形は決まっている。
だったら、さっさと、
その最終形を認めて
受け入れて、
その活かし方に、
残りの人生使うと決めたら
すごーく楽になるのさ。
どんなに頑張っても
無理しても
人工というウソが
ホンモノになることはない。
だけど、ワタシという
死ぬまで腐らない天然モノを
活かす方向を見たならば、
いくらでも道は広がるんだ。
天然を受け入れるよー☆
まだまだ、
伸びやかにくらしたいもんね♪
