畑を始める前の私は、ずっと「不足」の世界にいた。
野菜は買うもの。食べ物はお金を出して手に入れるもの。
だから収入が減ったらどうしよう。物価が上がったらどうしよう。老後はどうしよう。
そんなことをいつも考えていた気がする。
実は畑をやりたい気持ちは何十年も前からあった。
でも今年の冬くらいまでは、
「庭にトマトを数本植えられたらいいな」
くらいに思っていた。
本当はやりたかったけれど、どこかで諦めていたのだと思う。
今年の春、貸農園を借りた。
すると不思議なことが起きた。
畑をやったら満足すると思っていたのに、逆だった。
「やっぱり自然農をやりたい」
そう思うようになった。
そして雪解けと同時に、北海道中の土地を探し始めた。
今思えば、貸農園はゴールではなくスイッチだった。
この春から、
庭の畑、60坪の貸農園、80坪の貸農園、
そして380坪の土地が一気に揃った。
まだ380坪の土地には何も植わっていない。
果樹もない。野菜もない。
それなのに、不思議なくらい心が穏やかだ。
なぜだろう。
ずっと考えていた。
そして気づいた。
安心している理由は、収穫があるからではない。
収穫なんてまだない。
安心している理由は、
「土は食べ物を生み出す」
ということを、自分の目で見てしまったからだ。
遠い畑では、
植えていない大根が畑中から出てきた。
豆は一ヶ月以上発芽しなかったのに、気温が上がった途端、一斉に芽を出した。
雑草だらけの中で、じゃがいもも、かぼちゃも育っていた。
そして零れ種の野菜やハーブ、山菜や野生の食材たちは、隙あらば生えようとしている。
今まで私は、
植物は人間が育てるものだと思っていた。
でも違った。
彼らは育ちたがっていた。
生えたがっていた。
人間が何もしなくても、機会さえあれば出てこようとしていた。
だから今は、
「収穫できるだろうか」
という不安よりも、
「何かしら育つだろう」
という感覚の方が強い。
もちろん全部がうまくいくわけじゃない。
失敗もある。
枯れるものもある。
でも土は空っぽではなかった。
そこには生命がぎっしり詰まっていた。
私はまだ何も収穫していない。
380坪の土地には何も植えていない。
それでも安心している。
なぜなら、あいつらは隙あらば生えたがっているからだ。
そして私は今年の春、その事実を土から教わった。
「あいつらは隙あらば生えたがっている」
が、この春の一番大きな発見だった気がする



