フンティ&布ナプキン 宙のhitotsubu
ゆるんでひらくわたしのメロディー♪
こころとからだ ふんわりゆるむと
自然体のわたしが現れる♡
自然体のわたしはよろこびを放射する♡
宇宙の隅々までひびく
わたしのメロディーを愛でよう♡
今日は、罪悪感や自分を責めること、
そこからの自分を落とす(自己肯定感を下げる的な)ことについて気づいたことを書きたいと思います。
けっこう長いです♪
私はとくに夫との日々のやりとりの中で、自分を責めたり、罪悪感を持って、心身が重たくなることがしょっちゅうありました。
夫以外にも、いろんな場面でそういうことはよくありました。
以前から情報として、
「罪悪感は演技」だとか「偽善のふるまいだ」とか聞いたことがあったし
自分で考えてみても、たしかに罪悪感は持ったところでなにか変わるわけでもない
とくに誰のためにもならないものだから
罪悪感を持つより、感謝の方に思考を向けたいと思ってはいました。
けれどなかなか思考を変えられずにいた。。
そんなある夕飯どきのこと。
たおとと私が夫より少し早めに食べ終わって、食器を下げたとき、たおとのベタベタの手をふくより前に、
私はちょっとスマホ片手にのんびりしていた。
そんな私を見て、「たおとの手、早く拭くなり洗うなりした方がいいよ! 」と夫は強めに言った。
それを聞いて、たしかにそうだ。
早く手を綺麗にしないとそこらじゅうベタベたになってしまう。と素直に思った私。
ごめんね、と言いつつたおとの手を、洗面所で洗い、テーブルを拭き、、
片付けていたんだけど、
片付けながらずんと重くなる心と体。。
あーまた怒られちゃった
夫が正しい
返す言葉はないな
はぁー、、、
どんな言葉を心で呟いてみても重くなる一方。
(こんなとき、なにかしら心が納得する言葉があるんだけど、このときは浮かばず、、
これについてはまた別の話題にて、、)
べつに反抗心もないし、素直に受け止めている。のに
なんでこんなに重たいの、、
なんなんだ、、
お皿を洗いながら心に耳を傾けていたけど、なにを言っても納得しない心があった。
あーまた怒られちゃった
夫が正しい 私がわるい
返す言葉はない
どれもしっくり来ない。
ん〜〜〜、、、、、
としていたら、、
「私はどうしたい?」
「私はどうしていたかった?」
こんな感覚の質問が出てきた。
そしたら、「私はのんびりしていたい。」
と。
そのときハッとした。
そうだ、私はのんびりしていたかったんだ。
だから、のんびりしていたんだ。
(↑この当たり前のような回答がとても大切なことにも気づいた)
たおとのベタベタの手は、この時期は仕方ないこと。
そのうち綺麗に食べられるようになるのだからそれまでは多少あちこち汚れるのは、まぁいいやと私は思ってるから、たおとの手が放置されていることがさほど気にならなかった私。
一方夫は、その辺は潔癖ぎみで、細かい。
たおとにも正直手づかみをさせたくないくらい。
(ここは、私ののびのび好きに食べてほしいという気持ちを優先させてもらっている)
そんな夫にとっては、食べたらすぐ手を綺麗にする、というのはかなり優先度の高いこと。
でもその日、その瞬間は夫はまだ食べていたし、私はフリーな感じでのんびりしていた。
だから私に強めに言ったのでした。
私は、意見を強く、またはハッキリと言う人を怖いと思うところがあって、
同時にそういう人は「正しい人」であったり、「従うべき人」みたいな思い込みもありました。
だから、目の前の人が私になにか強くハッキリ言ってきたら、自動的に「私はわるい」「私が間違っている」みたいになっていて。
たとえ理不尽に思うことでも、気持ちだけは、自分は劣等生だ、みたいになっていました。
内心、反抗していても、もうひとつ深い層で、やっぱり私はだめなんだ。的な感情を持っていた。
そんなことは、ない!!!
ってことに、気がついた!!❣️
それぞれに、優先したいこと、大切にしたいことがあって、それは人によって違っていて、
そして、人には、意見をハッキリ表現する人と、あまり表に出さない人がいる。
ただそれだけのことなのに、
見た目、強く言う人が正解で優等生で、
言われる人は間違っていて劣等生。
という風に自動的に考えるようになっていた。
だから、夫は思ったことをそのときパッと言葉にする人で、私はじっくり考えてから言葉にする人で、
いつも「言われっぱなし」に思うところがあって、
そのたびに自分はダメだ。と自分で自分を落としていた。というわけ。
幼い頃に、大人に怒られたとき、なんで怒られてるかわからないけど、謝ったり反省したりしてる感じを出さないと許してもらえないというか、
そういう風を演じれば、その場がおわることを学んだ結果、罪悪感を持つという習慣ができるのだと教えてくれた人がいて、
ほんとそれだと思った
強い人と弱い人
善い人と悪い人
強い人には弱い人
善い人には悪い人
これら、善悪の価値観の世界では必ずセットでなければならなくて、
そのセットの構図を自分で壊さないように、毎度しっかり演じていたことに気づいたのでした。😳
真実は、ただ、
ベタベタがいやな夫がいる
のんびりしたい私がいる
だけであり、どっちもなにもわるくない
考えを伝えた夫がいて、
それに応えて手を綺麗にする私がいた
応えたくないと思うなら、
いま私できない とか
自分でやって とか
言ってみてもいいと思う
それぞれに考えや気持ちがある
伝える、伝えない、自由
応える、応えないも、自由
どうあってもいいわけで、
どうあっても、だれもなにもわるくない
ただコミニュケーションをとりながら
次の展開を作っていけばいいだけ
というとてもシンプルなことに気づけた
どんだけ自分を貶めてきたのだろう
とっても苦しかった
私はなにもわるくないのに自分を落とす行為が、心の底では変だとわかっていたんだとも思う。それはけっこうなストレスとなっていたことも、いま感じる。
そういう構図を維持するために、自分の自信を落とし、わるものになり、劣等感を持つようにしていた。
そこで生まれるストレス、フラストレーションを、別の場面で優越感や優等生になれそうな場面で、発散してもいた。
そして、このことに気づいてから、よくわかったんだけど、心の底から笑えなくなってもいたと思いました。
毎日の100%ではないけど、なんとなく、いつも夫の揚げ足をとろうとしてる自分がいたり、ひねくれてる自分がいたと、思う。
そのくらい、じわじわ、じわじわと日々をむしばむものでもあるんだと思った。
人間はもともと、不安も罪悪感も、感情として持っていなかったそうです。
それらは、作られた感情なんだとか。
この世には善と悪がある。という考えがそもそも作られたもので、事実、真実としては、善も悪もないってことは、視点を高く広くしてみるとわかる。
とすると、、やっぱり、罪悪感なんて、いらないんだ。ということがわかる。
この気持ちを持たなくなると、なんて軽いこと💓
まだ少し、いままでのクセが顔を出すこともあるけど、ここまで気づいたらもう戻らない。
そうそう、そして、
そうだ、私はのんびりしていたかったんだ。
だから、のんびりしていたんだ。
(↑この当たり前のような回答がとても大切なことにも気づいた)
これについても書き足したい!
ということで、こちらへ↓つづきます!
お花が色々綺麗です〜😍💓




