阪神淡路大震災から15年。被災し、大切な人を亡くした
方々は、たとえ流す涙の量は変わったとしても、1年後も
15年経った今も同じ気持ちで1月17日を迎えられたこと
だろうと思う。
「亡くなった友人・家族のぶんまで一生懸命に生きたい」
と力強くインタビューを受けて述べている人の声を聞くと
偉いな~と思ってしまう。近しい人を亡くしても、
そういう風にポジティブになれる人たちを私は尊敬する。
そうした尊敬を覚える力強い人々の中に、私がお世話に
なっている教授がおられるが、その先生が地震直後に
おっしゃった言葉が今だに心に残る。
「文学をしていて本当に良かった」
当時の私には、自然の脅威の前には人の営みなど
一瞬にしてなくなってしまうのだということしか頭になく、
被災地のど真ん中で、夜の暗闇で一人で耐えておられた
先生にとって、文学がどれほどの支えとなったのか
想像を馳せることが出来なかった。
が、最近、本当に少しだけだが、文学や人の造り出した
言葉というものの力を信じることが出来るようになり、
教授のおっしゃったことが分かるようになったような
気がする。
あらゆるものを取り去られた時、たった一人になった
時にでも、自分の心に残っている小説の一行、詩の
一節は私たちを励ましてくれる。もちろん、その中には
宗教的・哲学的なメッセージもあったりする。
全てを失ってもなお、言葉が一片、また一片と
浮かんでは、そこから思考が始まるというのが人間を
人間たらしめる。人であるという認識があってこそ、
生きていることに喜びを見出せるのだろう。
教授が言われたことの真意が本当に分かっているのか
甚だ怪しいが、一人の研究者として、「ことば」を扱う
仕事をする者として、少しでも教授に近づきたいと
思う15年目の1月17日だ。